史跡・文化財紹介
【閲覧数】1,621
2015年01月06日 14:03
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上田の史跡や文化財を紹介します。
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書き込み数は3件です。 | ◀▶ |
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芳泉寺・小松姫の墓
【返信元】 史跡・文化財紹介
2015年01月06日 14:27
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芳泉寺は、1600年、上田藩祖真田信之が真田家の菩提寺と定めた寺である。同寺には正室小松姫(本多忠勝娘、家康の養女)の墓がある。説明板には次のように記されている(原文そのままに転載)。
市指定記念物(史跡) 上田市文化財保護条例第五条の規定により左記のとおり指定する。 記 一、種別 記念物(史跡) 一、名称 小松姫の墓(真田信之夫人大蓮院殿の墓) 一、所在地 上田市常磐城三丁目七番四八号 一、指定年月日 昭和四十五年五月十一日 上田城及びその城下の創始にあたつた真田信之の正妻で、真田家存亡の際、陰の功を果たした小松姫の墓である。 小松姫は、徳川家康の養女(本多忠勝の娘)として天正十四年(一五八六)信之に嫁いだ。たいへん賢く、女丈夫として数々の逸話を残している。元和六年(一六二〇)二月二十四日、四十八歳で埼玉県鴻ノ巣市にて歿(勝願寺で密葬)した。 元和八年信之が松代へ移封されたとき、姫の御霊屋は松代に遷されたが、この石垣積み基壇上の高さ二.八八メートルの二重塔身宝篋印塔は、その銘文より、信之が小松姫(法名 大連院殿英誉皓月大禅定尼)の一周忌に建てたものであることがわかる。 基壇北の石燈籠は、真田信吉寄進のものである。 (略) 昭和四十七年十月一日 上田市教育委員会 |
常田毘沙門堂
【返信元】 史跡・文化財紹介
2015年01月06日 14:20
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上田城下の常田にある毘沙門堂は幕末の志士佐久間象山が松代からこの毘沙門堂まで通って勉学したところとして後世に知られることとなりました。毘沙門堂には文字の刻まれた石柱や説明板などが多数あり、それらを一読するだけで毘沙門堂の歴史的な位置づけは理解できるものとなります。
毘沙門堂の門には次の文言が 常田毘沙門堂 先賢問道処跡 門の後ろの石柱には次の文言が 指定保存史蹟 毘沙門堂址 長野縣 佐久間象山先生勉学之地 刻まれています。 門の後ろの石柱の裏には「従三位勲二等針塚長太郎書」と刻まれています。針塚長太郎は上田蚕糸専門学校の初代校長です。 その他、境内には「常田毘沙門堂主要行事」「「市指定記念物(史跡)…(略)…活文禅師遺跡一号毘沙門堂址…(略)…」と書かれた説明板があります。石碑の文字は読み取れません。 |
笠原工業常田館製糸場
【返信元】 史跡・文化財紹介
2015年01月06日 14:13
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1900年、常田館製糸場を創立、操業開始。
1948年、笠原製糸株式会社に社名変更。 1962年、笠原工業株式会社に社名変更。 1984年、構造改善事業により、上田工場製糸操業休止。 2007年、上田工場が近代化産業遺産に認定登録。 2012年、旧常田館製糸場施設(7棟)重要文化財指定。 ☆参考サイト:笠原工業常田館製糸場 http://www.kasahara.co.jp/kasahara/guide/tokida.html |
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