1,561万kW/2,039万kW (03/29 13:30)
76%
金言格言の森の「水清ければ魚棲まず」
「水清ければ魚棲まず」の書込一覧です。
新着返信
返信がありません
QRコード
水清ければ魚棲まず
【閲覧数】1,205
2008年05月14日 19:23
水清ければ魚棲まず

読み:みずきよければうおすまず

意味:水があまり清らかに澄んでいると、隠れる場所が無く、魚が棲みつかない。
人も極端に潔癖で厳格すぎると、だれも敬遠して寄りつかなくなるという喩え。
また、鋭く人の腹の中まで見抜くようだと、かえって人に親しまれずに孤立してしまうという喩え。
「清水に魚棲まず」とも言う。
類句:水至りて清ければ即ち魚無し。水清くして大魚無し。石上五穀を生ぜず。人至りて賢ければ友無し。
対句:「水清ければ月宿る」
出典:孔子家語



流言雑言:水は、化学的には化学式 H2O で表される水素と酸素の化合物である。以上のように学校で習って、しかも現実に実験をしてみれば、確かにそれが嘘ではなく紛れもない事実真実だと知ることになる。
こうして出来た水は旨くない。旨くないどころか、この純水をたっぷり飲めば腹をくだすだろう。魚などを放てばやがて死んでしまうのである。
しかし私達人間は、ことに昨今の風潮では、どういうわけか、「ピュア」という言葉が好きであることが象徴するように、日常の生活やら人生においても、「純愛」を理想として希求したりする。純粋な正義、純粋な信頼、純粋な気持ち、純粋な誠意、純粋な友情、純粋な性格・・・。そしてそこに「不純」なものを見つけては、これまたどういうわけだか「裏切られた」という不信感に苛まれ絶望したり、あげくにその不純性に対して、非難し罵倒し、ついには決別してまで自らは「純」を貫き通そうとしたりする。
これはまるで毎日飲んでいる水の正体が「H」と「O]とで構成されていると確認しているのと同様のようではないか。実験ではこれ以外は不純物なのであるから。

近代人は物理学や化学やらを学んだのはいいが、しかし実際無意識に学び慣らされたものの殆どは、そこから生み出された公式を真理として疑わない思考法ではなかっただろうか。水を理解したように人間を理解出来ると信じてはいまいか?
実験の多くの対象物は「無機物」であるが、出来合いの公式に合致させることを理想とし目標として、リセットしては何度もやり直しが可能な世界である。なまじっかこの中途半端な科学的な思考を囓って、その明解な理屈に洗脳されてしまったが為に、これをまるで世の中の仕組みや人間の生活や人生、記憶や精神にまで適応し、さらに延長拡大できるものだと、うっかり考えてはいまいか。
人間というものは、人間社会というものは、そういう単純なものではないのは確かである。
私達は無機物ではないのである。私達は実験しているのではないのである。人間は実験動物ではないのである。もしかするとこの志向が現代人を病ませてしまっているのかもしれない。





返信書き込みはありません。