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特別展 「動乱! 播磨の中世-赤松円心から黒田官兵衛まで-」(兵庫県立考古博物館)の時も城山城の航空レーザー計測図が展示されており、山上の伝赤松屋敷がきれいな方形だったことに驚いたが、航空測量(航空レーザー計測)でつくられた笹ノ丸城跡鳥瞰図には、畝状空堀群まできれいに出ており、驚いた。 |
増井山随願寺の縄張り図を初めて見た。庄山城並みの大きな規模の城郭だったことに驚く。随願寺の周囲の尾根を悉く城郭化している。多数の坊院が並んでいるような書写山円教寺のような中世山岳寺院のありかたとは異なる。随願寺は大きな城。現状の縄張りは、永禄12年の小寺氏段階の城とみなすよりは、永禄12年の織田軍による落城後、庄山城と同様に、織田の陣城として随願寺も大規模に改造された可能性もあるように感じた。 |
京都から団体の観光客が来ていた。御着城を初めて訪れた25年ほど前には、伝二の丸をめぐる堀跡も田圃になっていたが、一見、堀跡と分かるかたちで、よく残ってたのだが。発掘調査時には残っていた土塁も残して欲しかったものだ。伝二の丸跡のグランドにもとんどが組まれている。 |
江戸時代の御着城絵図に「城ノ時代ノ往還ナルベシ」と表記されている道。図録の御着城復元図にも「戦国時代の山陽道?」と表示されている。近世山陽道は御着城の中心部を通っているので、惣構内では南に100mずらしていたようだ。道がクランクしている部分がある。クランクのところに地蔵堂があって、五輪塔が集められている。 |
遺構の変遷が色分けで表示されているのが良かった。小スペースの展示だったけど見ごたえがあったと思う。でも、一階廊下のパネル展示と、2階の国府山城の遺物展示などを危うく見逃しそうだったぞ。この点、案内不足と感じた。館の入り口に立っている幟は黒田家の旗印だそうだ。埋蔵文化財センター附近でとんどが組まれていた。 |
最近、案内板を付け替えたり、登山道周辺の草木を刈ったり、いろいろ整備をしていたようだ。官兵衛の大河ドラマ化が決定してから、国府山城も様々な媒体で紹介されているらしく、城跡で4人の訪城者に出会った。国府山城は、以前にも、何回か登っているが、人に出会うことはまったく無かったのだが。 |
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