《この人、この商品 シリーズ1回目》
本物の木綿の良さを伝えたい~~棉屋善兵衛さん~~
6月某日の昼下がり・・・兵庫県姫路市の通り沿いの古民家で、澤田善弘さん(57歳)が藍染のシャツを着て糸車を回している。 左手にあるのは「篠巻き」という棉の束。 そこから、糸が繰り出されて、右手で回す糸車に巻きついていく。 機械で作れば均質だろうが、手で繰り出すと、太くなったり細くなったり、そこに“表情”がある。 「デジタルのようにゼロと1ではなく、アナログでローテクなんですよね」 ふんわりと柔らかい生地の原型がそこにある。
左手で棉を繰り出し、右手で糸車を回す善兵衛さん
伝統を背負って
澤田さんは「5代目棉屋善兵衛」を名乗る。 初代・澤田藤吉は、明治13年に姫路市内で布団用の棉の卸売りを始めた。 姫路とその周辺は、江戸時代、日本有数の棉の産地だった。 江戸時代後期、財政難になった姫路藩を立て直した家老、河合寸翁が、木綿の栽培を奨励し、江戸で専売権を得て、高級木綿の地位を確立した。 澤田さんの父は、綿の需要が減退する中で、空調用のフィルターなど商売の多角化に乗り出した。善弘さんもソフト事業の開発に携わったが、いつしか「綿の良さを伝えたい」と思うようになった。 「本当の綿の魅力」を探求し、徳島に通って藍染を習い、中国やインドにも足を運んだ。 結局、最高級のオーガニックコットンでなければ、「本物」にはならないと感じ、オーガニックコットンを通常の化学染料ではなく、天然の草木染にして製品化した。 「姫路木綿」の商標も取って、息子さんや娘さんを含め、家族と仲間でショップを運営している。
大正10年、澤田さんの祖父が建てた店がそっくり残っている
今が分かれ目
低成長の中、アパレルも「安さが勝負」の世の中。 そんな中で、澤田さんは、「ここ2-3年がチャンスかな」と密かな手ごたえを感じている。「STORY」や「リンネル」など、女性誌で、特集が組まれ、お母さんたちのナチュラル志向が顕在化してきているからだ。 姫路市の北部、夢前町の自治会長が無農薬のオーガニックコットンを栽培し、供給してくれることになった。 普通、商売は、「売れる値段」に対してコストを削る。 それに対して、澤田さんは、「楽なことを選ばないのが、私のやり方」という。 手作りにこだわり、「よりいいもの」を目指す。 店にある「姫山絞り」のTシャツや、ストールは、1万円以下の値段だが、澤田さんは40センチ四方の木綿の布を広げて見せた。 「糸の間隔を広げて、より優しい肌触りにしてみた」という。 赤ちゃんの肌着として試作したもので、5000円前後の価格になるという。 広げて見せた藍染のストールは1本5万円にもなる。 「いいものを作るにはコストがかかる。でも、それを理解してくれないと、商売にはならないのです」
1枚5000円の赤ちゃんの肌着。風合いがとても優しい
後世に伝えたい
「本物」を知ってもらうため、兵庫県各地の小学校で出張授業をしている。 「棉の育て方」「糸を作る」「手織りで布を作る」「草木染めで染める」など4回のコース。子供たちは目を輝かして取り組む。 「綿の良さを後世に伝えていきたい」・・・そこに「妥協」はない。 ちなみに、「棉屋」の「棉」は糸になる前の「棉」――そこにもこだわりがある。
ショップを経営する澤田さんファミリー
「世界にこれ1枚」という澤田さんのセールストークに乗せられ、伝統の「姫山絞り」のTシャツを買った私。 何とも言えない柔らかさ・・・この夏の定番にしよう。
笑顔の澤田さんに乗せられて、姫山絞りのTシャツを買ってしまった私
(文責・坪田 知己)
坪田 知己(つぼた ともみ) 岡山県岡山市出身、岡山大安寺高校、東京教育大学を経て、1972年日本経済新聞社入社。
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