昨日の朝に、やっとカード書きを終えた。合計50数枚だから全然大したことない、とも言えるが、これがかなり骨の折れる仕事なのだ。 毎年冬が近づくと、どんなカードにするかが話題になる。以前はUnicefのを使っていたが、10年ほど前にこの国連機関について不愉快な話を聞いてからは中止し、町の写真・印刷業者に依頼している。 (Unicefなど国連機関に寄付したおカネの7割以上は、職員の人件費に消えるんだって。本当かしら。人数を考えると、庶民の善意の寄付が国連職員の高給に、というのもあり得ない話ではない。) カードの写真には、近辺の名所や風情ある街の情景を選び、中にはヒットもあるけど、イマイチというのもかなり多い。 今年は種切れらしかったので、夫の会社のホームページにある森の中の工場の写真を私が提案した。 それが採用されたのはよかったのだけれど、私はそのあとすぐ帰国して、フォーマットや紙質などをチェックする時間がなかった。 ドイツに戻って見てみたら、まあ、えらく大きなカードで、上質のつるつるした紙を使っている。 これがカード書きの仕事を例年の3倍くらい大変にした。 まず、クリスマス・新年のカードは年賀状に比べると4倍くらい空白のスペースがあって、今年もよろしくお願いします、とか、良いお年をお迎え下さい、なんて決まり文句で埋まるわけがない。 そこへえらく気前のいいサイズにしたから、書くスペースがますますたっぷり。 さらに、書き始めると、つるつるの紙面なのでボールペンがすべって、まともに字が書けない。 それでなくても下手くそな手書き文字がますます下手に見え、一つ一つの字をゆっくり丁寧に書かねば、文字が連なったり重なったりする。 毎日、5,6枚書くと手首と肩が痛くなった。それでもときには10枚近く書き、肩こりを直すのにぬるい風呂に入ったり、風邪で39度近い熱を出した日曜・月曜の中断分を火曜と水曜に頑張って何とか終えた。 まさに苦行だった。 何でこんな思いまでして、と毎年思い、夫の同業者たちがしているようにサインだけで済ますとか、若い怠け者たちのようにWith Loveでチョン、という方法も考えるが、生来の性格でどうしてもそれはできない。 そもそも日本にいた時から、年賀状は全部手書き、が私の信条だった。あいさつ文はもちろん、宛名も自分の住所も。 細々とした自営業だから、初めはそれでよかった。 商売が少しづつ大きくなると、送る相手も増えて、それでも数十枚の時は相変わらず全手書きで頑張った。 しかし100枚を超えたとき、もうこれを全て手書きは無理、と悟って、宛名と自分の住所だけは事務所の女性に印字してもらった。 次は賀状の挨拶文も印刷してもらうしかないのかなあ、気に染まないことだが、と思っていたら、ドイツ人と結婚して年賀状を書くことはなくなった。 しかし年賀状よりも厳しいものが待ち構えていた。 でっかいクリスマスカードである。 自分自身の顧客はもういないので、友人や親戚、お世話になった昔の上司などに絞って、数は半減したが、書く中身が以前の数倍。実質ロードは増えている。 そこへ、早くに自分のを書き終えると、亭主の親戚や友人への代筆を頼まれる。英米の親類はともかく、夫のドイツ人の友人にドイツ語でカードを書く身になってほしい。 この夫もまた全手描き派で、300枚くらい書くので毎年クリスマス前に体調を崩す。昼間は時間がなく、夜は仕事で疲労困憊なので、朝4時に起きて机に向かうのだ。さすがに私も多少は協力せざるを得ない。 と言っても、彼は字が大きいうえ、細かく相手の近況を考慮したりはしないから、私が同じ枚数を書く場合よりは、ずっと楽なのだが。 とにかくカード書きは終わった。バンザイ! 毎年出す数の方が貰う数より多いから(かつての上司の中にはナシのつぶてもいるが、私は旧式な日本人なので、30年経っても一応出し続けている)、追加が必要になることはなさそうだ。 大抵の日本人は、年が明けてからクリスマスカードでなく年賀状という形で返事をよこす。 ほとんどが印刷したもので、手書きは「カードありがとう、今年もよろしく」程度。 これだと楽やろなあ、と思うものの、倣う気はない。今のところまだペンは持てるから。 (写真は今年のカードに使った工場の光景。) |