> 「フッゲライ」
知りませんでした。興味深いです。大仏や寺社を作るより社会に貢献しているような気がします。
ローマの軍団基地から始まったということは、当然、ヨーロッパ最古の街ですね。歴史遺産に埋め尽くされているはず。ヤンマー創設者の山岡孫吉の仲介で長浜市と尼崎市が姉妹都市になったそうです。
昨年9月から3か月、夫の日本人同業者の娘婿にあたるK君が、ビザの許すぎりぎりの期間夫の会社で研修していたとき。 私たち夫婦は仕事のみでなく、できる限りドイツとその周辺を見せて異国の文化や歴史に興味をもってもらおうとした。 当時39歳のK君は闊達で勤勉で仕事も良くできたし、知らない世界への好奇心も旺盛で、夫は彼にそのままドイツに残れと勧めたくらいだった。 帰国の日が迫った12月半ば、夫が年末の挨拶でミュンヘンの顧客を訪ねた際も同行した。 ミュンヘンまでは約350キロの距離だが、そこから50キロほど手前にアウグスブルクという古都がある。 その町の起原はローマ帝国時代にまでさかのぼり、アウグスブルクという地名も皇帝アウグストスに因む。 その後、中世・近世においてもドイツ史の中で非常に重要な役割を担ってきた町である。 ミュンヘンに向かう車の中でそのアウグスブルクの歴史に触れながら、私がK君に「今回立ち寄る時間がないのはとても残念だわ」というと、どんな名所旧跡があるのかと訊く。 私が是非見せたかったのは「フッゲライ」だった。 フッゲライはバイエルン州の観光案内にはたいてい出てくるので、日本人の間でもある程度は知られている。 これは15世紀から16世紀にかけて栄耀栄華を誇ったフッガー家の最盛期にヤコブ・フッガーが建てた、世界で初めての集合住宅である。 住むところのないホームレスや極貧層が対象というより、暮らし向きが楽ではない庶民のためで、いわば西洋長屋といったおもむき。従って家賃は当時の水準からしてもかなり安かった。 そう説明すると、K君は「そのヤコブ・フッガーという人は、そんな風に一般市民のために尽くしてずいぶん立派な人だったんですね」と、まあ当然の反応を示し、それに対して私はちょっと意地悪な返事をした。 別に哀れみ深い人だったわけではなく、天国に行けるよう、死ぬ前にそれまでの自分の悪行の罪滅ぼしをしたかったのよ。 へっ、と彼が驚く。 「昔の大金持ちって、みんなそうよ、カーネギーだって、ロックフェラーだって、普通にまともな人間でいて大富豪になんかなれるわけないでしょ。みんな罰当たりなことを平気でして、恨みもかって、これでは死んだら地獄に落ちるという恐怖があったから、年とって慌てて善行を積む人が多かったのね。」 はあ、そんなもんですか、とK君。 USスチールの創始者で鋼鉄王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーや、スタンダード石油を創業して石油業界を席巻したジョン・ロックフェラーなどが、具体的にどんな業突く張りだったかは知らない。 しかし19世紀から20世紀初めに実業界の巨人となった彼らのことだ。民の搾取なくして資本家稼業をやれたはずはない。 また、これは篤志家というより、その資産を教育や公共の利益に供したことで知られる鉄道王ハンティントンなども、アメリカ大陸に鉄道網を敷設するに当たっては移民やマイノリティを奴隷のように酷使したという。 多くの場合、アメリカの鉄道建設には中国人が従事したと聞いたことがある。 だから、世の東西の大金持ちは年を取るにつれ自分のしたことが恐ろしくなり、あわてて慈善事業に打ち込んだのだ。 それをいうなら、破格のスケールの慈善組織を運営しているビル・ゲイツやら、ごく一部(といっても巨万の富だが)を除いて全額寄付すると発表したザッカーバーグなども、良心の咎めや、やましいところがあったのだろうか。 話は逸れるが、最近話題になっている美容整形医師の高須克弥氏。彼の「グローバルな」慈善活動は常識外れだったり突拍子がなかったりするが、その資金源はクリーンだと思う。 だって美容整形して儲けた金でしょ。誰かを騙すとか、まして搾取なんかしたはずがない。 整形手術を望むお姉さんたち、銀座のクラブにお勤めだったり、これから女優になることを夢見ている人だったり、好きこのんで高須クリニックにやって来る連中だから、現在の寄付行為の動機は、別に罪滅ぼしなんかじゃないだろう。 さて話をもとに戻して、神聖ローマ帝国時代に贅沢好き・戦争好きの王侯貴族への金貸しで大儲けしたフッガー家は、借りた金を返せなくなった君主から銀山をもらうなどして途方もない富を築いた。 宗教改革の発端となったルターのカトリックへの反抗(今年はその事件からちょうど500年になる)のきっかけは、教会が免罪符を信徒に売るという不浄な行為にたまりかねてであったが、この免罪符販売もフッガーからの借金返済のためだったというから、ある意味非常に罪が深い。 そのこともあってかフッガーはプロテスタントを憎んでいたようで、生涯にわたり「敬虔なカトリック教徒」を演じ続けた。 フッゲライは建設から500年を経た今も市民に利用されている。 もちろん途中で幾度か戦災にあったり外国軍に徴用されたりもしたが、大戦後の復興事業でもとの姿を取り戻し、今はドイツの名所の一つとなっている。 私がいいなと思うのは、ここが博物館などのような歴史の「墓場」ではなく、集団住宅として今もちゃんと機能している点である。 そして、ヤコブ・フッガーの時代と同じく、家賃は1ユーロに少し足りない額。 そんなら私も住みたい、という人も少なくないだろうが、私はお断りだ。というのは、ここの住人はカトリック教徒でなければならず、日々の礼拝を欠かしてはならないという掟があるから。 ヤコブは自分の罪の深さを認識していたから、のちのちの住人にも信仰を強要したのだろうが、彼の罪滅ぼしに手を貸すために改宗するつもりなど全くない。 もう一つ、このフッゲライで面白いのは、モーツアルトの曽祖父に当たる人物がここに住んでいたという事実である。 音楽に関して猛烈な教育パパだったモーツアルトの父親はアウグスブルクの人で、母親がザルツブルクの近郊の生まれだった。 アマデウスの曽祖父のフランツは石工・煉瓦職人で、この人から二代あとのレオポルドに音楽の遺伝子が宿った経緯は、神のみぞ知る、である。 写真1.フッゲライの一角 写真2.かのデューラーの手になるヤコブ・フッガーの肖像。 写真3.モーツアルトの曽祖父が住んでいた部屋の前には、その旨のプレートが掲げられている。 |