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2009年03月16日(月) 
認知心理学には、複数の情報を受け入れるための、人の脳内の許容量を意味する「回路容量(チャンネル・キャパシティ)」という概念がある。私たち人間には、それぞれに生まれ持った「認知能力」があり人間の脳が瞬時に分類できるのはだいたい7種類までで、それ以上になると分類できにくくなるといわれている。米国の電話番号が7桁になっているのもここに理由があり、心理学者のジョージ・ミラーは「7という不思議な数字」の中で「ベルは多くの人が電話を利用できるようにできるだけ多くの桁数を望んだが、記憶できないほど長い番号ではまずいと考えた」と指摘している。実際に、8桁から9桁ある地方の電話番号では、チャンネル・キャパシティを超えることから、間違い電話が多くなるという研究もある。人間が一度に扱える情報量は限られているのである。

心理学者が「共感グループ」と呼ぶ数がある。死なれたら打ちのめされるくらいショックを受ける親密な関係の人数は、一般的に12人程度らしい。誰かの親友であるためには、時間なり感情なり最低限それなりの負荷が発生する。誰かを気遣うということはかなりの労力が必要なのだ。ある一定の人数を超えると過剰負荷状態となるが、共感グループはこれが10~15人の間で発生することを示している。進化生物学者のS・L・ウォッシュバーンは「人間の進化のほとんどは、農業発生以前、少人数のグループのなかで互いの顔が見える範囲で起こった。人は少数の相手を、短い距離を、比較的短い時間を強く意識するように進化した。そして、それが今もなお人にとって重要な生活規模となっている」と述べる。人間の社会的チャンネル・キャパシティは、通常一般人が考えるよりはるかに小さいようである。

イギリスの人類学者ロビン・ダンバーは、霊長類の脳の中で複雑な思考や推論をつかさどる新皮質と呼ばれる部分の大きさとグループの規模の関係について調査した。集団生活の規模の平均が大きくなればなるほど、より大きな社会の複雑さを処理するために脳は進化し、新皮質も大きくなるという。もし5人の集団に属している場合には、自分を中心とする4本のパスと他のメンバー同士が関わる6本のパスの合計10本の人間関係回路を維持する必要があるとダンバーは指摘する。グループ内でうまくやっていこうとすると、内部の人間関係の力学を理解し、それぞれの個性を巧みに操作し、他人を不快にさせないように気を配り、自分の時間や労力を上手に調整しなければならない。これが20人の集団になると、自分に直接関わる19本のパスと他の構成員同士に関わる171本をあわせて190本もの相互的関係回路を維持しなくてはならなくなる。グループの規模は4倍になっただけだが、他の構成員を「知る」ために必要な情報処理量は約20倍になっているのである。比較的小規模な人員増加でも、知的・社会的負担は相当に大きくなる。

ダンバーは、ほとんどの霊長類において、脳に占める新皮質の割合(新皮質率)によって、最大どれくらいの規模の集団生活を営んでいるかが判る公式を提示しており、ホモ・サピエンスに当てはめると147.8人(ほぼ150人)という結果となる。この150という数は、私たち人間がリアルな社会関係(顔の見える関係)を営むことのできる最大の個人数を表しているのではないかと、ダンバーは言う。すなわち、相手がどこの誰で、自分とどのようなつながりを持っているかを知りながら良好な関係が維持できる集団規模が150人ということとなる。

ダンバーの人類学の文献調査によると、オーストラリアのワルビリ族、ニューギニアのタウアデ族など、歴史考証のはっきりしている世界中の21の狩猟・採取社会を綿密に調べると、村落の平均人口は148.4人になっているという。また「軍事組織の立案者たちは長年の経験から、機能的な戦闘部隊の構成員は実質的に200名を超えることはない、という一般原則に到達している」と述べ、150以下であれば、規範なしでも同じ目標を達成でき、この程度の規模であれば、個々人の忠誠心と直接的な対人関係を基本にして、秩序はおのずから維持され、行動も規則なしで統制できるが、規模がこれ以上大きくなるとそれが不可能になると主張している。

ヨーロッパに何世紀にもわたって自給自足の農業共同体を維持しているヒュッテル派という宗教グループがあるが、彼らは共同体の人数が150人に達するたびに分割され、新たな共同体として出発するという厳格な方針を持っている。その理由をヒュッテル共同体のリーダーのひとりであるビル・グロスは「小さな集団の中では人々はそれだけ親密になる。集団はメンバー同士の相互扶助的関係で満たされ、共同生活が効率的に運営される。しかしグループが大きくなりすぎると、共同で作業する機会が少なくなり、互いに疎遠となって緊密な仲間意識が失われる。そして、ひとりでに派閥のようなものができて、不協和音が発生する」という。ヒュッテル派の人々はこの考えを現代の発達心理学から学んだわけではないが、その経験則はダンバーの理論と完璧に一致しており、何世紀も前からこの「150の法則」を遵守してきたのである。

人と人のつながりの集合体である地域SNSのネットワークに置き換えてみると、人間の社会的キャパシティに依存する共感コミュニティの大きさは、サイト内でつながる「トモダチ数」の個人合計であり、ダンバーが指摘した集団規模の限界は、コミュニティのメンバー数やあるいはSNSサイトそのものの大きさと考えることができる。SNSのつながりは、リアルな関係より遙かに時間的負担が小さいので、これらの限界数はより大きくなると考えられる。「ひょこむ」における和崎の調査では、利用者が「適切である」と感じるトモダチ数は概ね100~200人(2007)、サイト全体の賑わいに減退感や喪失感を感じ始めたユーザーが出現するのは2500人を超えてから(2009)となっているが、この数字を意識しながら利用環境を構築したり運営手法を検討することが重要であろうと思われる。

【参考文献】Malcolm Gladwell,高橋啓訳,「The Tipping Point」ソフトバンク文庫,2007

閲覧数3,881 カテゴリ日記 コメント12 投稿日時2009/03/16 15:26
公開範囲外部公開
コメント(12)
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これより以前のコメントを見る
  • 2009/03/16 17:57
    > coccoさん
    早くも、真打ち登場やね♪

    > SNS間連携の中でそれが起こったら「大事件」ですねえ♪

    その大事件、ぼくは起こると確信していたりします(笑)。
    次項有
  • 2009/03/16 18:38
    SNS有用性を証明する理論構成

    さすがですねぇ

    多くの人が感じてることを 裏打ちする作業には敬服します

    ボチボチ論文の構成ができあがって来たようですね

    今後ともよろしゅうに
    次項有
  • 2009/03/16 18:47
    > ガンコオヤジさん
    > 多くの人が感じてることを 裏打ちする作業には敬服します

    理論として提示されていながら、実証的に明らかではなかったことが、地域SNSで少なからず可視化されてきたように思います。これってきっと立派な業績ですよね。みなさんのおかげといつも感謝しています..m(__)m
    次項有
  • 2009/03/17 19:28
    僕も回路容量を超える数の地域SNSに入会しているのかもしれません。
    次項有
  • 2009/03/17 19:31
    > 温泉太郎さん
    > 僕も回路容量を超える数の地域SNSに入会しているのかもしれません。

    まだまだいけまっせ..(^^v
    次項有
  • 2009/03/17 21:55
    > こたつねこさん

    こたつさんの入会数は凄いですもんね。
    次項有
  • 2009/03/18 06:58
    > 温泉太郎さん

    いやいや加入するサイト数ではなく、温泉太郎さんのポテンシャルは桁違いです。体調と相談されながら、ぼちぼちとやって下さい。
    次項有
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