⑨御着城本丸
2016年06月03日 09:44
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茶臼山城・天川城とも言う.永正16年(1519年)姫路城主小寺政隆(まさたか)が1月築城して、ここに移り本拠とした.
東と北は四重の濠をめぐらし、西と南は二重の濠で天川を外濠に利用し、茶臼山という約5mの丘上に本丸、(南北214m、東西227m)二の丸、(―辺約110m)を設け外敵に備え、北方の斉藤山頂(深志野)に見張り所を置いた. 城郭内に、家中屋敷、町屋を包含して、天川の西に馬場・天川の南に的場を作り、家臣の武芸訓練に当てた。 御着公会堂の東道路に、城下町特有の戦略上鍵形に曲げた遺構があり城内には数箇所の井戸があって大掛かりな城砦兼居館の形の平城でした。城主三代60年間続いたが、羽柴秀吉の軍勢に天正7年(1579年)に開城(落城)した。 |