昔 こんな車両が走っていた――名鉄編 (8)木造車・瀬戸電-(1)
2019年01月25日 12:30
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名鉄の異端児瀬戸線は「瀬戸電」と呼ばれていました。
昔あちこちで走っていた路面電車を除くと名鉄の他の路線と接続線路がない孤立路線でした。 名古屋に住んでいたころ自宅から一番近い所で鉄道線の電車を見ることができる唯一の路線だったので当時としては自然と写真も一番たくさんある路線です。 ①:モ200型 森下駅付近での名古屋市電との平面交差。 名古屋市電の最新型 1800型を待たせて通り抜けるのは古くても鉄道線の電車でした。 ②:モ200型201号 大正12年11月日本車両製の電車です。HL制御、SMEブレーキを装備していました。 ③:モ250型251号 名鉄の創成期、愛知馬車鉄道から名古屋電気鉄道と社名が変更されたころ、まだ名古屋市電は無く名古屋市西部の道路に名古屋電気鉄 道が乗り入れていました。その頃その路線の起点、柳橋駅(現在の名古屋駅東方)から北上し犬山方面に向かう路線が有りました。 のちにこの路線は名古屋市内の一部が名古屋市電に譲渡されましたがその他は名古屋鉄道となり、廃止された路線も有りますが現在に 至っています。 その頃柳橋駅から現在の小牧線、犬山線を通り犬山の先の鵜沼で現JRの高山線に乗り入れて下呂温泉まで行く列車が運転されたことが 有ります。その列車に利用するため、モ200型の2両が改造されてモ250型が生まれました。 貫通扉や便所が新設され、車内は畳敷きになりのんびりとくつろいで旅行できるような電車になっていたそうです。我々仲間内ではこの電車 のことを「タタミ」と呼んでいました。 その後その列車の運行が終わり、車内も元通りに改造され普通の電車として活躍していたといわれています。 上のモ200と同様製造は日本車両。制御機器ブレーキなどもそのまま使用されていたようです。 |