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「元気交流中播磨部会・歴史と文化グル-プ」の活動と歩みの「⑧黒田家廟所」
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⑧黒田家廟所
【閲覧数】488 【マップカテゴリ】御国野地区
2016年06月03日 09:42
黒田官兵衛孝高の祖父(黒田重隆)と生母明石氏(いわ)の二人を祀ってある。
黒田家は御着城主小寺家の家老となり、重隆の時から姫路城を守って姫路城主となった。

左の五輪塔が(孝高の祖父)重職公、右の五輪等が重職公夫人明石氏(孝高の母)の奥津城である。元は、隣村佐土、心光寺に祀ってあったが、大水のため流され不明
であった。黒田宮兵衛孝高の命で捜していたところ、骨壷が御着の大庄屋(天川久兵衛)屋敷から見つかりそれ以来この地にお祀りしている。

享和2年(1802年)に資材を九州から運んできて造られた。周りの石塀は龍山石が使われており、昭和56年に姫路市指定史跡になっている。

天正8年(1580年)秀吉の播磨平定の時、孝高は姫路城を秀吉に譲り、職隆と国府山城(妻鹿)に移りました。御着・妻鹿も筑前さんと呼ばれている。

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