1,389万kW/1,988万kW (04/17 08:00)
69%
■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://hyocom.jp/blog/?key=15637&year=2011&month=1
■2011年1月の書き込み
書き込み数は8件です。
2011年01月23日(日) 
1月21日(金)午後9時30分過ぎの事でございました。
ちょっと気になっていました用事が無事に済んで、何気なくテレビを眺めていると
離島の小さなスーパーに左遷された中年のおっさん(小日向文世)が苦情処理に出掛けた相手先で、ナカナカ話が通じない相手(斉藤洋介)と大嫌いな犬たちを目の前にしてアクセクしているシーンが映っておりました。
何故か、局は11チャンネル・サンテレビです。

そして、新聞のテレビラジオ面で確認してみると、

    「犬飼さんちの犬」

というTVドラマの第一回放映分でした。

職場(中小スーパーチェーンの離島の弱小店

閲覧数1276 カテゴリ映画 コメント2 投稿日時2011/01/23 13:27
公開範囲外部公開
2011年01月23日(日) 
1月19日(水)午前10時頃
「折り紙トトロの旅立ち」の閲覧数が「2008」になっていました。
何故か「もくじきの独り言」の中では、「折り紙トトロの旅立ち」の閲覧数が独走状態になっています。
その理由はトモカクとして、嬉しい事でございます。

因みに、1月23日(日)午後1時頃の閲覧数上位3本

   (1)折り紙トトロの旅立ち    2047
   (2)佐々井秀嶺師の声       958
   (3)「あなたさえよければ」
      浜矩子教授の一言       856

閲覧数478 カテゴリ折り紙トトロ コメント0 投稿日時2011/01/23 13:09
公開範囲外部公開
2011年01月16日(日) 
「もう半分」という怪談噺の枕で、柳家小三治師がこんな事を語っています。

「素人時代に声帯模写で圓生師匠の真似をすると『良く似ている』と褒められました。」
「柳家小さんに入門した直後は、師匠の影響をまだ受けていなかったのか、アチコチで『圓生師匠に似ている。』とよく言われました。」
そしてその「もう半分」のマクラの中で、小三治師は実際に六代目三遊亭圓生師の真似をしてサワリの部分を演じていますが、私には余り似ているようには思えませんでした。

今振返ってみると、圓生師と小さん師は昭和47~8年当時の落語協会の前会長と現会長という間柄で

閲覧数2719 カテゴリ落語 コメント0 投稿日時2011/01/16 17:28
公開範囲外部公開
2011年01月16日(日) 
関西では白い朝を迎えたところが多かったようです。
赤穂でもご多聞に漏れず白い朝を迎えました。
出勤の時にふっと目にした
雪と陽の光の律儀な間柄

見事に寒い朝の「時間の経過」を残していました。

閲覧数968 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2011/01/16 10:39
公開範囲外部公開
2011年01月13日(木) 
「蜆売り」
年が明けて雪がハラハラと舞う冬の寒~いある日の人情噺。
丁度、今頃の噺でございます。

十(とう)になったかどうかというシモヤケ・アカギレだらけの泥で汚れた手をした小僧が大店の料理屋に蜆(しじみ)を売りに来る。
料理屋のオヤジは無碍にあしらって取り合わない。
たまたま居合わせた客(鼠小僧次郎吉)が何か妙に気になってこの小僧が担いできた蜆を気前よく全部買ってやる。
この健気な小僧から蜆を売り歩いている事情を聴き出しているうちに、家には父は亡くなって居らず患っている母と姉がおり自分が稼がないと暮らしていけない事が分かってくる

閲覧数521 カテゴリ落語 コメント0 投稿日時2011/01/13 21:02
公開範囲外部公開
2011年01月03日(月) 
この「江井ヶ嶋酒造」、どうも洋酒も造っていたようです。
しかも、プレートに刻まれた文字からすれば約90年前から。
そう言えば、ワイン(たぶんポートワイン)を造っていた記憶は微かにあるのですが、どうもウィスキーも作っていたようです。
あんな田舎で「洋酒づくり」とはねぇ~!
会社の看板の新しさから想像すると今でもお酒を造っているようですが、余り人影はないのでかなり業務を縮小しているのではないかと思います。
事実、辺り一面にあった多くの酒蔵はかなり取り壊されて、今は住宅がぎっしりと建っていました。
冬になると、周辺の人達が酒造の排水口から出

閲覧数365 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2011/01/03 20:27
公開範囲外部公開
2011年01月03日(月) 
この江井ヶ嶋酒造には、象徴的な建物があります。
もう50年以上も前から立っている高さ約20メートル以上はあるビルのような建物で、夜になると「神鷹」というネオンサインが燈ります。
建物と言えばせいぜい2階建しかなかった当時では、非常に目立つ建物でした。
また、酒蔵の壁には一面に「焼いた板」が張り巡らしてあって、幼心に「大きな火事に遭ったんかなぁ~?何で張り替えへんねんやろ?」と不思議に思っていました。
その「焼けた板」には、今は電球が外されていますが昔懐かしい電燈の笠が残っていました。

閲覧数418 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2011/01/03 20:16
公開範囲外部公開
2011年01月03日(月) 
私の生れ故郷は、明石市の西部にある魚住町という農漁村です。
その隣町に「江井ヶ嶋酒造」という酒造会社があります。
秋のお酒の仕込みの時期にはお酒の香りが漂ってきて、その後には酒粕が八百屋に出回ります。
叔父が一時この酒造会社に勤めていた関係もあり、お酒が滴り落ちる程お酒が含まれた酒粕も時々頂いた記憶があります。
食っちゃ寝食っちゃ寝の生活に飽きて、何十年か振りにシゲシゲと「江井ヶ嶋酒造」を眺めてきました。

閲覧数449 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2011/01/03 20:06
公開範囲外部公開
■プロフィール
もくじきさん
[一言]
今回「かわい子ちゃん」さんから「ひょこむ」へもご招待いただきました…
■この日はどんな日
書き込みはありませんでした。
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み