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屋台蔵の門扉のみ、姫路城の城門を再利用したらしい(姫路市教育委員会文化財課『文化財見学シリーズ10』)。八王子神社の高麗門と同様の金具が施されている。やはり、元々は、中濠の枡形虎口の高麗門だったようだ。 |
飾東町山崎の八王子神社。高麗門が、姫路城の城門を移築したもの、というので見に行く。穴場の姫路(http://himejino.kakurezato.com/ )によると、中濠に設けられた枡形虎口の外門だという。城郭研究室の見解だそうで、間違いないと思う。片方の門扉が失われてたり、門柱が部分的に腐ってたりして、かなり老朽化していた。今、姫路城天守が修復中だが、こっちも修復が必要だと思う。 |
見野では、見野古墳群を核にした町づくり活動が活発に行われている。新たな古墳の発見も見野古墳群保存会の活動の成果だったと聞く。 本郷には牛鹿屯倉があったとされ、継潮も見野近辺にあったはず。古代播磨において、見野周辺は非常に重要な場所だったのだと気づく。 |
『角川日本地名大辞典』によると、継の北部、麻生山麓に別所家の墓地があるというので見に行く。古い墓は無かった。一つは、明治37年に建てられた別所家紀念之碑。一つは、昭和14年に建てられた別所家之墓。別所家之墓の裏に碑文が刻まれていた。朱文字が剥落していて半分ぐらいしか読めなかったが、別所長治の遺児が影武者を身代わりにして助かり、加東郡長井村に遁れて…というお話。 |
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