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中津城のお話http://www.city-nakatsu.jp/digitalcontent/digitalda…index.html 。興味深かったのは、城跡に、黒田氏以前の居館が確認されたこと。黒田氏時代の本丸には、寺院があった可能性が考えられること。7世紀の唐原古代山城の石垣を、黒田氏が中津城の石垣に再利用していた点。黒田氏時代の石垣が今でもかなり残っている点。城郭・城下町・惣構は、黒田氏時代に起源があること。 中津市の城郭・城下町、断片的に残された惣構などを生かした歴史的な町づくりは特筆され、今後の整備も楽しみである。中津城には、是非とも行ってみたいと感じた。他の城下町由来都市も、中津市の積極的な … [続きを読む] |
姫路市立埋蔵文化財センターで国府山城の縄張図付きのパンフレットをもらったので(姫路市教育委員会文化財課編「黒田サミット記念国府山城跡現地説明会資料」)、久しぶりに行ってみた。村田修三さんによる縄張図も参考にして見て廻ったが(村田修三「置塩城から姫路城へ」姫路市立城郭研究室市民セミナー)、やはり不明瞭な山城だった。かなり広い範囲に、幾つか平坦地があるのだが、自然地形とあまり変わらないような印象を受ける。城郭っぽく感じるのは、西側の帯曲輪から立ち上がった切岸と、主郭の南側の曲輪の北縁の土塁と思しき高まりぐらい。相変わらずの笹藪で … [続きを読む] |
吉田住吉山遺跡は、南朝側の丹生山を攻めるために、赤松氏などの北朝側が拠点とした「志染軍陣」に比定される南北朝時代の城館である。このあたりの詳しい事情は、市沢哲さんの論文も非常に参考になる(市沢哲「南北朝内乱からみた西摂津・東播磨の平氏勢力圏」歴史資料ネットワーク編『地域社会からみた源平合戦』岩田書院、市沢哲「建武・暦応の西摂津・北摂津合戦」『新兵庫県の歴史』第3号http://web.pref.hyogo.jp/pa13/pa13_000000130.html )。遺物の出土状況から、大部分は南北朝時代の遺構とされる。西側(三木城側)に造られた多重土塁・堀切は三木合戦に伴う織田軍による改修かと … [続きを読む] |
部分的にしか見られず残念だったが、四種類の聖徳太子絵伝は、絵伝の作成された中世における合戦の様子などが窺えて面白かった。木製の盾を並べて作られたバリケード。塀の上に作られた臨時的な矢倉。暴れまわる足軽の姿など。他にも、猿を肩車している猿曳や、子供も働いている建築現場の様子なども興味深い。 |
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