1,355万kW/1,800万kW (04/19 21:35)
75%
■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://hyocom.jp/blog/?key=17253&year=2013&month=3
■2013年3月の書き込み
書き込み数は4件です。
2013年03月24日(日) 
●姫路市立城郭研究室「姫路市中世城館跡調査報告(3)」
・西土居構居
 「二ノ丸」「ダシ」などの興味深い通称地名を残す。羽柴秀吉が英賀攻めに際して築いた陣城とされる。近世期に西土居に遊郭があったという指摘も興味深い。
・平松構居
 平松の北西約1kmに「津の宮城」(魚吹の構)が存在していた(『文化財見学シリーズ』26http://www.city.himeji.lg.jp/s110/2212786/_10509/_1…10512.html )。津の宮城と平松は、大津茂川を介して連絡できる。平松構居も15世紀終わりの赤松・山名戦争において使用された可能性があると思う。
・松山城
 松山城は、郡境と交通路を押さえる位置に

閲覧数3135 カテゴリ日記 コメント5 投稿日時2013/03/24 21:35
公開範囲外部公開
2013年03月09日(土) 
 赤松義村の寄進。というより洞松院が主導して寄進したとされる(小林基伸「赤松氏との権力と拠点」『赤松氏と播磨の城館』)。

閲覧数440 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2013/03/09 21:36
公開範囲外部公開
2013年03月09日(土) 
 惣社集日記(『播陽万宝智恵袋』)によれば、大永元年六月に一ツ山大祭が、大永2年5月に三ツ山大祭が執行されている。大永元年9月に、赤松義村が室津において浦上村宗によって暗殺されており、当年、一ツ山大祭が執行されたとする惣社集日記の記述には、やや疑問を覚える。

閲覧数367 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2013/03/09 20:30
公開範囲外部公開
2013年03月09日(土) 
 最近、発見されたという「宿村絵図」が面白かった。実態の不明な中世都市府中(姫路)や、織豊期姫路城下町を考えるうえで極めて興味深い絵図だと思う。宿村・国府寺村・福中村の位置関係が確定された点は重要な成果だと思う。一ツ山祭、三ツ山祭における戦国期の宿村・国府寺村・福中村の関係性が、宿村・国府寺村・福中村の消滅・縮小後の近世期においても継承されたのも興味深い。
 一ツ山祭、三ツ山祭は、播磨国守護赤松義村・晴政期に赤松守護家が主導して始まったとされる。播磨国守護赤松氏と府中の関係を考えるうえで、惣社の一ツ山祭、三ツ山祭は非常に面白い問

閲覧数658 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2013/03/09 20:06
公開範囲外部公開
■プロフィール
harima1441さん
[一言]
お城が好きです。
■この日はどんな日
書き込みはありませんでした。
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み