書き込み数は4件です。 | ◀▶ |
●姫路市立城郭研究室「姫路市中世城館跡調査報告(3)」 ・西土居構居 「二ノ丸」「ダシ」などの興味深い通称地名を残す。羽柴秀吉が英賀攻めに際して築いた陣城とされる。近世期に西土居に遊郭があったという指摘も興味深い。 ・平松構居 平松の北西約1kmに「津の宮城」(魚吹の構)が存在していた(『文化財見学シリーズ』26http://www.city.himeji.lg.jp/s110/2212786/_10509/_1…10512.html )。津の宮城と平松は、大津茂川を介して連絡できる。平松構居も15世紀終わりの赤松・山名戦争において使用された可能性があると思う。 ・松山城 松山城は、郡境と交通路を押さえる位置に … [続きを読む] |
惣社集日記(『播陽万宝智恵袋』)によれば、大永元年六月に一ツ山大祭が、大永2年5月に三ツ山大祭が執行されている。大永元年9月に、赤松義村が室津において浦上村宗によって暗殺されており、当年、一ツ山大祭が執行されたとする惣社集日記の記述には、やや疑問を覚える。 |
最近、発見されたという「宿村絵図」が面白かった。実態の不明な中世都市府中(姫路)や、織豊期姫路城下町を考えるうえで極めて興味深い絵図だと思う。宿村・国府寺村・福中村の位置関係が確定された点は重要な成果だと思う。一ツ山祭、三ツ山祭における戦国期の宿村・国府寺村・福中村の関係性が、宿村・国府寺村・福中村の消滅・縮小後の近世期においても継承されたのも興味深い。 一ツ山祭、三ツ山祭は、播磨国守護赤松義村・晴政期に赤松守護家が主導して始まったとされる。播磨国守護赤松氏と府中の関係を考えるうえで、惣社の一ツ山祭、三ツ山祭は非常に面白い問 … [続きを読む] |
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