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京都から団体の観光客が来ていた。御着城を初めて訪れた25年ほど前には、伝二の丸をめぐる堀跡も田圃になっていたが、一見、堀跡と分かるかたちで、よく残ってたのだが。発掘調査時には残っていた土塁も残して欲しかったものだ。伝二の丸跡のグランドにもとんどが組まれている。 |
江戸時代の御着城絵図に「城ノ時代ノ往還ナルベシ」と表記されている道。図録の御着城復元図にも「戦国時代の山陽道?」と表示されている。近世山陽道は御着城の中心部を通っているので、惣構内では南に100mずらしていたようだ。道がクランクしている部分がある。クランクのところに地蔵堂があって、五輪塔が集められている。 |
遺構の変遷が色分けで表示されているのが良かった。小スペースの展示だったけど見ごたえがあったと思う。でも、一階廊下のパネル展示と、2階の国府山城の遺物展示などを危うく見逃しそうだったぞ。この点、案内不足と感じた。館の入り口に立っている幟は黒田家の旗印だそうだ。埋蔵文化財センター附近でとんどが組まれていた。 |
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