書き込み数は16件です。 | [ 1 2 ] | ◀▶ |
今日は夢前町に自転車で行きました。 秋の明神山を前之庄から見るこの景色は大好きです。 塚本の固寧倉。この防災備蓄倉庫は江戸末期の姫路藩の名家老「河合寸翁」がつくりました。 菅生澗のファーマーズカフェ「静かな向かい風」の卵かけご飯。卵の種類は選べ写真の黄色い卵は「もみじ」。すべて有機農法の食材です。 |
昨日は網干を歩きました。網干の興浜などは江戸時代、四国の丸亀藩の領地。丸亀藩なので「金比羅神社」も興浜にあります。金比羅は古代インド語でクンビラ、「わに」の意味で海の守り神。 網干で1854年に創業した老舗の山崎屋の「はまぐり」です。蜂蜜だけの甘味にこだわり、美味しい。 |
昨日は自転車で姫路市北東部を回りました。山田町で「日本一どでカボチャ大会」ベストルッキング賞の157キロの美カボチャと写真。 香寺町の古民家蕎麦屋「大寿庵」で赤花そばを食べました。香寺町の耕作放棄地で営農組合に赤花そばを栽培してもらい、地元の特産にしたいとのお話。 その後、香寺荘近くの赤花そば畑に行き、つぼみを鑑賞。「赤花そばのまちづくり」成功をお祈りいたします。 |
今日は山電で広畑に行き歩きました。 創業50年の珍味亭の串かつは広畑のソウルフードだそうです。私もお腹一杯いただき「広畑人」になった気分です。 広畑人といえば司馬遼太郎のおじいさん福田惣八の家は珍味亭から少し北です。1969年(昭和44年)に司馬遼太郎はタクシーでここに来られました。司馬遼太郎は生涯「広畑人」だと自分を考えていたそうです。管理する方も住む人もなく長年経過しているのが心配です。 |
昨日は山電で網干に行き歩きました。 「旧山本家住宅」は、元網干町長である山本真蔵氏により明治時代に建てられた歴史的建築物です。書斎のステンドグラスは見事。 古い町屋が高齢化で失われていく悩みを地域の方々からお聞きしました。 |
昨日は姫路駅前を歩きました。 西二階町商店街がにぎわい創出のため立ち上げた寄席「七福座」は創業11年。コロナで客が減っているのが悩み。今日は姫路出身の月亭秀都さんの落語。七福座頑張ってください。 「あさ香寿司」は創業70年で終戦直後から変わらぬ味で姫路のソウルフードです。 |
今日は雨のなか山電の天満駅から網干まで歩きました。昔の海の堤防の上にできた東西に延びる天満村は美しい街並み。これはオランダでは多く、ダイク(堤防)村と呼びます。 障がい者の就労支援事業所の「えんじぇるカフェ」(天満)、山盛りモーニング。 同じく障がい者就労支援事業所「カフェ野の花」(吉美)、パンが美味しい。ぜひとも利用者の工賃アップのためにもご利用ください。 |
昨日は妻鹿を歩きました。 妻鹿の固寧倉は、姫路藩の名家老の河合寸翁がつくった防災備蓄倉庫です。 創業55年のお好み焼あめや。「ちゃんぽん」は姫路独特のうどんと中華そばのミックス。食材をまぜる意味で長崎ちゃんぽんと同じで、中国語「シャポン」に由来。姫路ちゃんぽんを世界に発信しましょう。 |
今日は荒川を歩きました。 障がい者就労支援事業所「わかばや」でチーズケーキ。 岡田の親水公園。かって夢前川は荒川を走り、台風水害が頻発、荒川の地名は「荒ぶる川」から。1655年に姫路藩は水害対策で「横関」をつくり今の川道に変え、夢前川は荒川を流れなくなり、荒川の水害はなくなりました。昔の夢前川は今でも伏流水となり公園から噴き出しています。 |
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