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■2013年9月の書き込み
書き込み数は22件です。 [ 1 2 3 ]
2013年09月30日(月) 
さあ、本格的な社会人生活がスタートします。

4月から整腸薬などで有名な東京上中里の「ミヤリサン製薬」本社で半年間の研修を終えて、明日(10/1)から名古屋市中区丸の内にある名古屋営業センターの勤務となります。24名の同期生の内、東京に残ったのは3名。気持ちとしては本社に残るか、被災地支援の活動ができるかもしれない仙台営業センターを期待していたようですが、まったく初めての中京・名古屋に転勤となって、本人はしばし呆然としていたようです(笑)。

先週いっぱいは本社で仕事をして、この週末に引っ越しの荷造り。家具や電化製品もすべて備え付けのワンルームな

閲覧数1295 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2013/09/30 08:26
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2013年09月21日(土) 

※たけすけさんから情報を頂きました。

飛行機大好きな方へ【10月6日】「大阪国際空港 「空の日」エアポートフェスティバル」

時間:10:00~16:00
来場者多数の場合は、入場制限があります。イベントは、天候等の都合により中止又は変更されることがあります。

【JAL格納庫】
1.シミュレーターゲーム展示・体験、写真撮影会、地上車両展示
2.マーシャラー体験
★事前に整理券を配布。
・配布時間:09:30~(20枚、①②実施分)、11:30~(30枚、③~⑤実施分)
・配布場所:北出発ターミナル1階団体受付カウンター付近
・実施時間 ①10:30~②11:00~③13:00~④13:30~⑤14:00

閲覧数2111 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2013/09/21 10:50
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2013年09月20日(金) 
千年の都・京都の奥座敷「湯の花温泉」。明智光秀の居城があった古い城下町「亀岡」の中心部から西へ約7キロ。開湯は昭和30年代と歴史は新しいですが、はるか戦国時代には、傷ついた武将たちが刀傷を癒したとの伝説を残す、保養だけでなく、保津川下りや京都観光の基地にも好適な閑静で歴史ある温泉郷です。

温泉街は峠から下り坂の道路の東側に面し、反対の西側に少し下りるとそこは木津川源流というロケーションで、源流の木津川が決壊・氾濫し、旅館の裏に流れる名もない小川で鉄砲水が発生し、多くの建物が浸水しました。

この日、オレンジ色のおそろいのジャケット

[地図情報有り]
閲覧数1445 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2013/09/20 13:32
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2013年09月20日(金) 
JR亀岡駅と桂川を挟んだ対岸の東に位置する四ノ坪地区は、桂川が大きく蛇行する壁にあたる場所で、どんな河川でも増水すると最も負担のかかる構造になっています。今回の水害では、河川敷から4~5メートルはありそうな堤防を楽々乗り越えて、泥水が河川側の家屋や工場を飲み込み、床上浸水の被害を出しました。

この日は、オレンジ色のおそろいのジャケットを羽織った大勢のボランティアの人たちが、家人の方々と一緒に、家屋から家具や備品など水に浸かったさまざまな物品を持ち出したり、使えなくなったものをゴミとして処分すべく集める作業を、炎天下の中汗びしょになり

[地図情報有り]
閲覧数1095 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2013/09/20 10:31
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2013年09月19日(木) 
16日未明、平成25年18号台風による集中豪雨によって、桂川・保津川が決壊・氾濫した京都府亀岡市の「亀岡市災害ボランティアセンター」に、地域SNS「ひょこむ」で備蓄していた古タオル(タオル140本/バスタオル75本)を、姫路から高速ぶっ飛ばしてお届けしてきました。

亀岡市でセンターが立ち上がったのを知ったのは、17日朝、僚友である京都山城地域SNS「お茶っ人」の「災害コミュニティ」ででした。被災した翌日早朝に、素早くボランティアセンターを立ち上げるという迅速さにびっくり。すぐにフェイスブックのアカウントに連絡を取りながら、支援方法を検討することができました

閲覧数1359 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2013/09/19 17:57
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2013年09月19日(木) 

19日は、とても暑い日になりました。
午前10時前に姫路を出て、亀岡社協に古タオルを届け、被害状況と復旧見込みを聞き取りし、被災地取材して、ボランティア(ホッシーさんたち)を激励して現地を離れました。
いま、山陽自動車道の淡河(おごう)SAで、途中休憩しています。

ボランティア作業については、明日(9/20)を以て、とりあえずひとくぎりさせるそうです。
早期に復旧の目処がたったことは、不幸中の幸いでした。

被災された集落も拝見してきましたが、オレンジのジャケットを着たボランティアの方々が、暑い中汗だくで頑張っておられました。
泥水に浸かったものを家

閲覧数1368 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2013/09/19 15:25
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2013年09月16日(月) 
『世界文化遺産・首里城をめぐる』(解説:山城彰子さん)

「京の内」

パワースポットである「首里森御獄」の背後(南側)にそびえる、首里城城郭で一番高い石垣の南側の石垣の向こう側は、「京の内(きょうのうち)」という首里城のほぼ半分にあたる城内最大の信仰儀式の場です。京の内とは「霊力のある聖域」という意味があり、首里城発祥の地ともいわれ、琉球独自の信仰の最高位に位置する聞得大君(きこえおおきみ)や大アムシラレといった神女たちが、ここで王家繁栄、航海安全、五穀豊穣(ごこくほうじょう)等を神に祈っていました。

聞得大君は、国を霊的に守るためにノロ

[地図情報有り]
閲覧数1596 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2013/09/16 20:41
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2013年09月16日(月) 
『世界文化遺産・首里城をめぐる』(解説:山城彰子さん)

「系図座・用物座」

明治以前、日本には「士農工商」という身分制度が存在しましたが、琉球は「士」と「農」だけに分けられた社会でした。「士」は、日本の武士のように戦争に従事する戦闘員だったのに対して、琉球は政府や地方の官僚という役割を担っていました。

琉球の位階(りゅうきゅうのいかい)と呼ばれる、沖縄本島と久米島を中心に存在した琉球王国の身分序列は、第二尚氏王統の第3代・尚真王の治世(在位1476年-1526年)に確立されています。まず、1509年に金銀の簪(ジーファー、かんざし)によって貴賤の別を定め、

[地図情報有り]
閲覧数1433 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2013/09/16 16:08
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2013年09月16日(月) 
『世界文化遺産・首里城をめぐる』(解説:山城彰子さん)

「首里森御嶽」

首里城一番のパワースポットとして名高いのが、首里城内の広福門(こうふくもん)と奉神門(ほうしんもん)の間に位置する下之御庭(しちゃぬうなー)にある祈りの場「首里森御嶽(すいむいうたき)」。外見は、とても小さな木の茂みの周囲を石積みの塀で囲まれているだけですが、琉球開闢(かいびゃく)神話にも登場する神が造られた聖地であるとされていて、琉球最古の古歌謡集「おもろさうし」にもよく詠まれているほどの歴史を持った御嶽です。

首里城ができる前からあった祈りの場所で、城内でもっとも神聖

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閲覧数1376 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2013/09/16 10:10
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2013年09月16日(月) 
『世界文化遺産・首里城をめぐる』(解説:山城彰子さん)

「万国津梁之鐘」

正式には「旧首里城正殿鐘」といって、1458年に尚泰久王の命で鋳造され、首里城正殿にかけられたと伝えられています。尚泰久王は、40歳で6代目の王位につき、平和と幸福を求めて仏教に帰依して、数多くのお寺を建立しました。この時期に、同じような大きな鐘が23口つくられましたが、この鐘の銘文にだけ世界を結ぶ架け橋を意味する「万国津梁」の文字があることから「万国津梁之鐘」と呼ばれるようになりました。万国津梁之鐘以外の鐘は、第二次世界大戦の際の軍需供出にあい、砲弾などになりました

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閲覧数1106 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2013/09/16 09:10
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