書き込み数は36件です。 | [ 1 2 3 4 ] | ◀▶ |
夕方になって気を取り直し、洒落たビジネス用鞄でも買おうかとホテルから出たが、すでに商店が閉まっており広場のテラスカフェでぼけーとしていると、男が近づいて来て「隣に座っていいか」と尋ねる。 「いいよ、空いてるよ」というと「ワインをおごるよ」と英語混じりだが何語か分からない言葉で「どうも此処は性に会わないな、どこかいいとこ知らないか」など盛んに話しかけてくる。 そのうち「父親がスイスにチョコレート会社を持っていて、自分はローマに遊びに来てるのだが今夜は面白いところへ行こうと思ってるが付き合わないか」と言いだす。「ウンデルグランド( … [続きを読む] |
刈りあげた赤い髪、驚いたようなまん丸い青目、出っ歯気味の突き出た口元、粉をふいたように白い顔、どう見てもあだ名どうりの”白色雄鶏(gallo blanco:ガジョブランコ)”だった。 普段呼ぶときは”ガジョ”と短く、はやし立てるときなどに”オーレ、ガージョブラーンコ”とゆっくり正式(?)なあだ名が使われていた。 傍を通りかかると必ず声をかけてきて手で革袋をつくり親指を口に当て”アサード、ビーノ”と言って笑う。”シシー、フィンデラセマーナ(分かった、週末にね)”と返す。頼んでないけど彼はカブキのスペイン語会話の先生をかって出てるのだ。 後年気付い … [続きを読む] |
バンデリータの現場では作業員たちはお互いをあだ名で呼び合っていた。その中で姓であるメンドーサ(Mendoza)をあだ名にされている人物がいた。よくきいてみるとネウケン州の隣のメンドーサ州のメンドーサ市から出稼ぎで来ているのだという。 「考えるの"面倒さ"とばかりにつけたあだ名だね」と通訳のS君に言うと彼は声をあげて笑った。皆が何で笑ってるのと尋ねるのでS君が一生懸命説明している間、当のご本人メンドーサは「何が面白いんだ」とばかり金壺眼をひん剝いていた。 メンドーサはハリウッドスターのカークダグラスを細身にしたように精悍な面構えで、動作もきび … [続きを読む] |
現場の変圧器室にはズックの水袋がいつも日陰にぶら下げてあった。赤ん坊用の水枕くらいの大きさでズック表面に常に水が滲み出し気化熱を奪うので袋の中の水は冷たい。乾燥した風がいつも吹いているパタゴニアの気候を利用したクーラーである。もとは真っ白な水袋だったろうが、埃や手垢で暗灰色に染まっていた。 作業員が利用するその袋の水をカブキは飲んだことはなかった。代わりにコーラの2リットル瓶をカミオネータのシートに置いておき喉が渇いたらそれを飲んでいた。瓶が空になるとすぐにキオスコに冷たいのを買いに走った。 ブエノスアイレス初開催のワールドカ … [続きを読む] |
バルデス半島から戻ってきてプエルトマドリンに泊まった。翌朝は起きるとすぐ浜辺に行ってみた。初めて触れる大西洋に、目を凝らすとペンギンが泳ぎ回っている。両脚の間をものすごいスピードですり抜けるが羽の先端さえかすめない。砂地を泳ぐ小魚を追っているのだろう。 木製桟橋のたもとにカフェがあり、海を眺めながらゆっくり朝食を摂った。草色をしたチーズが素晴らしく香りがよく美味しかったのに名前を忘れてしまった。今日はやって来た道をひたすらたどって帰るのみ。 結局プエルトマドリンがどんな街だったか、ウェルシュがどんなだったか印象が薄く記憶してい … [続きを読む] |
二日目も天気は上々、プエルトマドリンめざして車を走らせてきてバルデス半島付け根で燃料補給し片道140kmの半島先端へ象アザラシを見に行く。真直ぐ延びる道路は造ったばかりでまだブルドーザが置いてあった。両側はパタゴニアでは珍しい草原、棘の無い草で覆われた豊かな土地だ。 ダチョウを小型にしたようなニャンドゥーが駆けグアナコが立ちつくす、おそらくウサギやアルマジーロも居るだろう。道路の直ぐ脇に二羽ほどニャンドゥーが居たので車を止めるとすぐさま走り出した。二羽が大きな羽を挙げお互い反対の向きに方向転換しながら同じ方角に逃げ去った。つが … [続きを読む] |
ある日トムがチュブ(Chubut)州のプエルトマドリン(Puerto Madryn)めざして南のほうへドライブに出かけようと言い出した。ホー博士がブエノスアイレスのガールフレンドに会いに行くので共同使用の車が空いているからという。 でも何故プエルトマドリンなのかきくと、そこは昔ウェールズからやって来た人達の子孫が住んでいて、今ではもう通じない古いウェールズ語を話している彼らと出会いたいのだそうだ。トムは言語学者でもないのにスコットランド人だからかグレートブリテンのイングリッシュじゃない言葉に興味があるらしい。 全行程 カブキも「気難しいイギリス … [続きを読む] |
発電機が動き出したので戻って呉れとの連絡があって再びパタゴニアの荒野に立ったのは1978年3月14日、復活祭の始まりの十日ほど前であった。現場を離れたのが謝肉祭の2週間後だったから併せて四旬節の半分の期間をカブキはカトリコ達の国から離れていたわけだ。 ある日、氷蔵庫を荷台に設えたカミオネータでバイヤブランカから魚売りがやって来てF-13の前で車を止め蓋を開けた。ひどい匂いがF-15の部屋にも流れ込んできて外へでてみると、奥方がボールを手に集まって居りあれこれ品定めに余念がない。時節柄各家庭では肉を断つ日もあるのだろうが600k … [続きを読む] |
'78年のカーニバル入り前日の2月の第一日曜日に隣家ウッドハウスからお招きがあって、トムとカブキはパーティーに参加した。ご近所の皆さんが着飾って仮装してやって来たけどふたりはいつもの格好で許された。最初のゲームは仮装の説明と品定め、最優秀賞はカブキが選ぶことになった。 旦那さんが上着を脱ぐとカフスとカラーと前立てだけで裸の背中にpiano piano(ゆっくりやろう)と書いてあったイタリア人夫婦を選んだら、個人を選べと言われ、全身に風船をつけ期待の眼を輝かせている奥方の方を指さしてしまった。「どうして?」と皆が尋ねるので「とっても陽気でいい」と … [続きを読む] |
一時帰国でトムはもうイギリスへ帰っていた。カブキもしばらく現場を離れるので知り合ったり世話になった面々を招きガルポン・アサードを開催した。ちょっと豪華にと思い「子羊」の肉は手に入らないか尋ねてみたら、ヘフェのデルガドは肉屋には無いからガウチョのところへ一緒に買いに行こうという。 夕方になりヘフェがハンドルを握るカミオネータに乗り込み荒野の道を30分も走ったところにガウチョのキャンプはあった。出てきた10歳くらいの男の子にヘフェが話をすると、少年はカブキを子羊ばかりの群れの囲いに案内し、「どれがいい?」と身振りで尋ねる。 30頭 … [続きを読む] |
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