北はりま田園空間博物館の代表からの電話。 代表:「昔の話やけれどなぁ、夢希望でやったランドマーク作戦覚えとるか!?」 私:「やったのは覚えていますけれど、所属の委員会が違いましたから、事業には参加していません!」 夢希望とは、西脇青年会議所創立25周年の記念事業として設立されたまちづくりグループで、正式名称は「夢と希望を織り成す会」です。「ひとづくり委員会」「ものづくり委員会」「まちづくり委員会」で構成されていました。 代表とはその時からのお付き合いです。 ランドマーク作戦は、平成元年に行った「まちづくり委員会」の事業です。 今日、テレビ朝日の番組「ナニコレ珍百景」のスタッフから西脇市に問い合わせがあったそうな!? 西脇市・西脇青年会議所・商工会議所を廻り廻って、夢希望の代表から私のところへ・・・ 色んな方に電話し、漸く全貌がつかめてきました。 東京高等師範学校付属小学校(現:筑波大付属小)の肥後盛熊氏が、東経135度線と北緯35度線がそれぞれ日本の東西・南北のほぼ中央を通ることから「経緯度交差点が日本のへそ、それが西脇にある」と提唱され、その後1922年に多可郡教育委員会が50周年記念事業として経緯度交差点標識の建立を決め、翌年測量を実施、10月に標識が完成しました。(北緯35度線を訪ねてより抜粋) http://www.h2.dion.ne.jp/~kazuf/sao/135e/35n.htm 平成元年当時、経緯度交差点を示す石標しかなく、東経135度線と北緯35度線のラインが何処を通っているのかわかればいいなということで、ランドマークをつけようということになりました。 当初は、空からも見えるよう屋根の上にもランドマークをつけようということだったそうですが、多くの家に許可を貰わなければならず、実現は無理ということになりました。 幸いにも関西電力さんには快諾をいただけたので、ゼンリンの地図上の東経135度線と北緯35度線にある電柱にマークをつけたようです。 何本の電柱にランドマークをつけたのかは今となっては不明ですが、現存している物は2本のみのようです。 「北偉」は単純に「緯」を間違えただけのようでした。 特に意味はありません。 写真は、HP「北緯35度線を訪ねて」並びにへそっこさんより |