ここのところ教育再生について考える機会を与えていただいて、漠然と感じ始めたことがある。それは教育の荒廃の原因は親や先生にあるのではなく、本当に生きていくのに必要な教育を身につけさせないまま卒業させる義務教育制度のあり方そのものにあるのではないかと言う事です。
本来なら頭の良くない子やもの覚えの悪い子には10年でも20年かけてでも一人で生きて行く術を身につけさせてやるのが国家の責任であるはずなのに、ただ機械的に6年間、学校に漫然と通ったら国家の義務を果たしたかのように振る舞う国の姿勢に問題があるように思えてなりません。
大変申し訳ないけれども先生の技量には雲泥の差があり、技量のない先生にあたると一年間を無駄に過ごすこともある訳です。賢い子や塾に行ける余裕のある子はまだそれを補う事ができますが、そうでない子は早々と小学校低学年で落ちこぼれる。こういった子たちでも異なる先生に出会えれば格段に向上する事だってありえる訳です。もっと簡単に落第ができるようなシステムが必要なんではないでしょうか?
6年間という時間にこだわり過ぎて何か物事の本質が違っているとしか思えません。また大人になってからでも小学校や中学校で学び直せる制度も必要なのではないでしょうか?
昨今、発覚した未履修問題でも、受験を前に授業をしなくてはならない事が問題なのではなく、その知識を与えられなかった子供たちが損をしている筈です。それならば大学や社会に出てからもその未履修だった科目をどこかで履修可能にさせてやる事が必要なのに、おそらくレポートやビデオ鑑賞で単位を与えてしまう訳でしょ。ここに大きな教育問題の間違いがあるのではないかと考えます。
教育再生の第一歩は、必要最低限の知識を身につけるまでは絶対に卒業させないという国家の意志を国民に示すことではないかと思います