ニッチなテーマコミュニティとしての「講」、帰属意識や食・住・安全安心などをトリガーとした汎用的なコミュニティとしての「無尽」。
コミュニティ運営の戦略として、汎用的なコミュニティをいかに活性化させるかが大切ということでしょうか。
『地域をはぐくむネットワーク』(昭和堂,2005)は、「少し前の時代まで、地域は助け合って生きる場でした。人が寄り合って地域に生きるための知恵もさまざまであったはずです」(岡田真美子)という書き出しで始まっている。明治以前まで支え合いながらコミュニティを維持していく日本人の知恵が機能しなくなったのは、明治以来の西洋化の流れと、敗戦による価値観の変化、日本的なものや伝統的なもの一般の否定、それに加えて科学技術の進歩によって社会の変化に伝統的な縁が即応しなくなったため(岡田)という。 伝統的な知恵のひとつに「講」がある。地縁・血縁・無縁に続くもうひとつの縁「結縁(けちえん)」でつながる地域をさまざまな環境を支える仕組みである。「講」は地域の自由で閉ざされたネットワークであり、その中の関係性は強い。経済的共助(頼母子講・無尽講など)、地域介護(看取講・葬式講)、地域協働(結講、手間講)などが結縁ネットワークとしてコミュニティにサスティナブルな関係をもたらした。 ただニューカマーにとって、このような講のシステムはいかにも敷居が高く風通しが悪く見える。実はそうではないのだが、なかなか入り込みにくいことがあり、それを補完するのが更に自由度の高い「無尽」である。職縁や好縁などでグループ化されたゆるやかなネットワークは、自身がコミュニティを超えた関係性を保持するとともに、「講」に加わることができるきっかけづくりにも貢献していたのではないかと思われる。 地域SNSのふるまいを見ていると、「コミュニティ」機能がこの「講」や「無尽」とよく似た役割を担っているように見える。盛り上がるコミュニティはどうしても途中から参加しにくかったりして外部からは排他的に見えやすくなるが、「無尽」のように更に気軽に加わることのできる「血液型」や「出身校」のコミュニティがつながりを提供し、そこでのコミュニケーションが他のコミュニティ参加への動機付けを提供している。地域SNSには、こんなコミュニティ運営のバランス感覚が必要なのだろう。 |