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2009年10月23日(金) 
本シリーズ(その1)で述べられていますが、ガルデルがコロンビアの地を踏んだときに流行っていたのはタンゴではなくカリブ海のトロピカルな音楽だったそうです。

(当時メデジンでヒットしていた曲ビクターレコード80693-B)

そういう中でガルデルは公演を成功させ突然逝ってしまったのです。以降この地は聖地となりタンゴが根付いたのです。以下福岡さんに案内してもらいましょう。


ガルデルの足跡-2 コロンビアでのタンゴ

(7)当地のタンゴ事情の報告をしましよう: 
まず、ガルデルのレコード存在: オリジナルのSP盤はコレクターやメデジンの博物館にあるはずだが、通常の入手は困難のはず。 
 
(バランキージャで作られたガルデルのsp盤A面“La cumparsita” OD-1614-1 tropical)


(同上のB面 ”Caminito”OD-1614-3 tropical)

LP、CD時代でも数が多くあり、とても追跡できません。 昨年発売された、YOYO MUSIC.S.A社(Ref:60202)のCD5枚組(DVD1枚”el dia que me quieras”を含む)、には珍しい曲がありますので、ここに紹介します。 題名はCarlos Gardel”Su Vida y su Obra”です。 CD2枚目の20曲目、"Mis perros" 21:"El vagabundo" 22:"Asomate a la ventana” 23:"Rumores” 24:”A la memoria de Carlos Gardel” 25:”Mis Flores negras“20,21,22,23,25,曲目はいずれもバンブーコです。 
24番目はガルデルのメッセージで、南米諸国、スペイン(フランスは無)のフアンに向けたもの。 この巡業先予定地をプエルト・リコ、ベネゼーラ、コロンビア、パナマ、キューバ、メキシコらの国々の名を上げている。 その後ニュー・ヨークに戻る予定と次は何処かの西語團への国々に行く予定だったらしいのだが、その希望は果かなく泡のように吹き消えたのです。     
Web:www.yoyomusica.com/www.audiolibrosyoyo.com/
YOYO、USA=E-mail:info@yoyousa.com 
今日レコード店を覗いてみたら、ガルデルのDVD2枚のクリップとCD1枚組みが新しく発売されていた。 これらのクリップは最後の映画の彼の歌の部分を抜粋した映像です。
(8)本場からのタンゴ楽団や歌手たちのコロンビア訪問公演は68年:メデジン、ボゴタにはアニバル・トロイロ楽団、歌手エドゥムンド・リベーロ、70年:ミゲル・カローとロベルト・ルフィーノ、77年:セステート・マジョールとポデスタ、80年6月:オスバル・プグリェーセとアベル・コルドバ、アルマンド・ラカバ・イ・ス・トリオ、81年:マリアーノ・モーレス、82年:アストル・ピアソラのキンテート、スサーナ・リナルディー(5回以上)、アテリオ・スタンポ-ネ、ダニエル・ビネリ、最近では('08年)オルケスタ・フロンテ、‘09年:日本人タンゴ女性歌手、佐伯アナ嬢も来訪、他に多数ソリスト、歌手らが訪れています。
(9)1975年、小生が初めてメデジンに訪れたときにはタンゲリーア“La casa gardeliana”にはココ・テンサという名のバンドネオン奏者がギター伴奏でタンゴを演奏していましたが、歌手(本場の歌手とは見劣り)は当地の人で名前は記憶していません。 この店にはアグティン・イルスタ、アルマンド・モレーノ(メデジンに長年住み着いた人)、ルイス・コレア、オラシオ・デバル、ルベン・フアレス、ロベルト・アジャラ、らの蒼蒼たるタンゴ歌手が出演していたそうです。 ”Patio del tango”にはぺぺ・アギーレ(チリー人のタンゴ歌手)が出演中で渋いタンゴを堪能させてくれました。 他にグアジャキル地区の“エル・アバスト”に行きましたが、この店にはガルデルの幽霊(1945年6月24日10年目の命日で本当?)が“Volver”を歌ったという伝説が語られています。 ボゴタ市も可なりタンゴが盛んでタンゴ・バーは“エスキーナ・デ・タンゴ”ロベルト・アロデイが司会と歌受け持ち、チェ・パウリーナのバンドネオン演奏(この人、68年からメデジンのガルデリアーナの初代バンドネオン奏者)でダンスは地元のカップル、時々本場亜国から凄腕が来るとか。 処でボゴタの下町に”El viejo almacen”という名のレコードだけでタンゴ(リクエストは受ける)を流している店がありますが、騒がしく日本のタンゴ喫茶店の様な上品な雰囲気などは望めないので入ることは躊躇しています。 
ラジオ放送でタンゴ番組があり、(a)毎日曜日午後6時から一時間番組でナショナル大学FM放送局(85.5MHZ)ロベルト・アロルディ氏の司会です。 番組は特別にゲストを向かえて珍しい話題をテーマにしたり、当地のタンゴ演奏家の紹介に力を入れています。
3年前、アコーデオン奏者のジョワニ・パーラ氏(若間22歳)紹介が有り、キンテートでピアソラの作品だけ取り上げて相当な質の高い演奏技術を披露していました。 彼は二年ほど前からブエノスでマエストロ・ネストール・マルコーニに師事し、本格的にバンドネオン演奏の習得に励んでいます。 彼の上達速度は目に見えるほどで、帰国ごとのタンゴリサイタルを聴くと驚きの連続です。 この番組でタンゴだけ12時間流したこともありますが、最近無くなりました。
(b)同日午後8時1時間番組、ハベリアーナ大学FM放送局(92.9MHZ)司会、解説者はハイメ・アンドレス・モンサルベ氏、毎週その時々話題をテーマに特別番組を流します。
今月10月はメルセデス・ソーサを追悼して、彼女のタンゴ歌唱特集です。 今年5月ごろの番組に佐伯アナ嬢(CDで本人ではない)も登場しました。
(c)タデオ大学放送局(FM106.9MHZ)毎週金曜日午後8時30分から30分番組です。AM放送には殆んど、不定期な番組でタンゴが流れています。

参考は1975年6月、新聞に載った、ガルデル追悼40年記念特別記事。 その他、50年、60年追悼記念記事、ラジオでの特別番組放送などを参考にしています。

2009年10月18日
福岡貞夫記


今回の「あしあと」シリーズはこれで完了です 

閲覧数1,367 カテゴリタンゴ徒然 コメント14 投稿日時2009/10/23 01:02
公開範囲外部公開
コメント(14)
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これより以前のコメントを見る
  • 2009/10/24 05:20
    Bohemioさん
    カブキさん、ガルデルの巡業の終わりはやはりニューヨークで亜国に帰る予定は考えていなかったようです。
    次項有
  • 2009/10/24 08:00
    > Bohemioさん
    ほっほー、なにやら意外にさめた親子関係が見えてきそうですね。Todotangoをはじめ私がこれまでみてきた資料はアルゼンチン側のものばかりでした。ウルグアイ人説のまとまったものは無いように見受けます。是非このテーマに挑んでいただいてまたいつか紹介くだされば有り難いです。
    次項有
  • 2009/10/24 11:07
    El Bohemioさん
    > タンゴカブキさん
    次のWebページをみてください。1:www.gardelweb.com/ 2:www.gardel.us.com:のorientalを探してみてください、興味深いデータに当たりますよ!!。処で、プエルト・リコ、ベネゼーラ巡業編はどうでしょうか?
    次項有
  • 2009/10/24 17:55
    > El Bohemioさん
    サイトの紹介をありがとうございます。辞書を傍らに読んでみます。
    お尋ねくださったその1でも申しておりますが、プエリト・リコ&ベネスエラのほうも是非お願いします。
    次項有
  • 2009/10/27 04:03
    El Bohemioさん
    > タンゴカブキさん
    アバストのガルデルの家にはベルタさんと其の友人アナイスさん夫婦達が住んでいた筈です。73年ごろはタンゲリーアでしたが、今は博物館ですね。
    ガルデルは’32~33年頃にモンテビデオの郊外に邸宅を買い込み改修中でしたが、そこに住むこと無く,昇天してしまいました。
    次項有
  • 2009/10/27 07:18
    > El Bohemioさん
    そうなんですか、ブエノスアイレスではなくてモンテビデオに邸宅ですか。どうしてなんでしょうね。
    次項有
  • 2009/10/30 00:15
    El Bohemioさん
    > タンゴカブキさん
    ガルデルが邸宅をモンテビデオ郊外に邸宅を購入していたのは事実です。改修やその支払い精算等の全権責任権をデ・フーノ氏に任せていました。さらにサインした白紙委任状をも残していた様です。ガルデルの友人や取巻きはウルグアイ人が殆んどです。レギサモ、ラサーノ、フランシスコ・カナロ、等の人たちです。彼は生前に私はウルグアイのタクアレンボー生まれと言明していたのにメデジンで事故死した後に謎の遺言書が現れて、私はフランス生まれと言う訳です。謎、謎、いずれテーマに辿りつくとおもいます。
    次項有
  • 2009/10/30 09:08
    > El Bohemioさん
     ウルグアイ生まれと称して身分証まで用意していたそうですね。フランス生まれだと徴兵されると思ってそれを避けるためという説もありますね。いずれにしてもスターには謎が多いものですね。
    次項有
  • 2009/10/31 12:53
    El Bohemioさん
    > タンゴカブキさん
    そのとうり、ガルデルがフランスへ行く前に偽のパスポートを作らせたという説ですね、これは1890年生まれ説から出たので、ガルデルがシャルル・ガルデスであれば徴兵義務から免れないことになりますが、1928年には41歳、いや本当は1811~4年に生れている記録があり、44~47歳位ですから、その義務を負う必要は無いのです。これは後で誰かがこじつけに付けた説明です。ガルデル自身も可なり煙幕をはったようですが。亜国の人たちはフランスかぶれですからね、悪口では有りません。
    次項有
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