1,135万kW/1,580万kW (04/20 02:00)
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2010年02月21日(日) 

このシリーズを始めて2回でストップしたままになっていた。今回は中之島の名建築に続いて、その南にあたる「船場」と呼ばれている地域の名建築を紹介しよう。

船場というのは、土佐堀川、東西横堀川、長堀川の4本の川に囲まれた地域を指す(長堀川から道頓堀川までの「島之内」を含むと考える人もいる)。

この辺りは古代は海であったが、大坂城の築城と合わせて陸地化され、江戸時代には「天下の台所」の中心として商業地区として発展し、近代になっても繊維産業と製薬業のメッカとして大いに繁栄を極めた。

その後、第二次世界大戦で焼け野原になったが不死鳥の如く立ち直ったが、繊維産業の衰退と経済の東京一極集中により、相対的な地位は下落している。

 

しかし、この地域には幸いにも戦災で焼け残った近代建築がいくつかあって、往時の繁栄を偲ばせてくれる。

その中でも、僕が名建築と思ういくつかをを紹介してみることにする。

 

❍ 旧住友銀行本店(現三井住友銀行大阪本店営業部) 

 とにかく堂々たる建築である。外観は石張りだが、御影石ではなく、やわらかい肌あいと暖かい色を持った石材を使っているのがいい。ギリシャ建築風の巨大な正面玄関は住友の威信を象徴しているように見える。 

         

 

❍ 愛珠幼稚園と旧小西儀助商店(現コニシ)

 木造建築が戦災で焼けなかったのは奇跡と言ってよい。大阪市立愛珠幼稚園は大阪最古の幼稚園で、戦前までは船場の大店(おおだな)のぼんぼんいとさんたちが通っていたのだろう。(国指定重要文化財)

 旧小西儀助商店は「薬の街」道修町(どしょうまち)の堺筋の角にある。4棟の連続した黒壁の重厚な建物は、国の重要文化財に指定されている。(社屋として使用されているので見学不可)

 どちらも木造の低い建物だが、周りをとり囲む高層ビルに負けない力強さが感じられる。それは歴史がつくった貫禄というものだ。 

 

 

❍ 生駒時計店

 旧小西儀助商店の一つ南の平野町(ひらのまち)の角に建っているのが生駒時計店の生駒ビル。5階建ての小さな建物だが、全体のフォルムも細部の飾りも格調高い建物だ。3階から上の窓が2段になっているのが面白く、特に2階の丸窓が印象的である。また、外壁のスクラッチ・タイル(引っ掻いたような模様のあるタイル)も美しい。 

 

 

❍ 小川香料大阪支店

 生駒時計店から西へ入ったところにある小川香料大阪支店、各階の窓を切ったように設置された庇が面白い。玄関扉の斜め格子と裾の金色は高級感があり、脇玄関の上のステンドグラスも格調が高い。決して巨大企業とは言えない会社の社屋にこれだけのものをつくったということは、今では信じられないことである。 

 

 

❍ 綿業会館

 かつての繊維の街・大阪を象徴する建物だ。1階が石張り、2階から5階がスクラッチ・タイル張りになっているが、屋上に銅板葺きのペントハウスを持つ美しい建物だ。もちろん、有形登録文化財にしていされている。2階の腰につけられたバルコニー風の飾りも美しいし、玄関の扉とその中に見えるホールのシャンデリアは、高級ホテルを思わせる。 

 

 

❍ 三木楽器 開成館

 中央大通を越えて心斎橋筋を少し南へ行くと三木楽器の本社がある。小さな建物だが、よく見ると歴史を感じさせるものがある。1825年(文政8年)創業という老舗(当初は書籍商)で、明治に入って楽器販売を手掛けるようになったという。玄関の上に掲げられた表札には「書籍・楽器 大阪開成館 三木佐助」と書かれている。壁面にとりつけられたレリーフにも歴史が感じられる。

 

 

 

位置図 

 


朝(7時30分)の気温:3.6℃、湿度:73%

昨日の最低気温:1.3℃、最高気温:9.9℃、最低湿度:39%、最高湿度:70%


閲覧数2,130 カテゴリアルバム コメント8 投稿日時2010/02/21 12:08
公開範囲外部公開
コメント(8)
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  • 2010/02/21 22:58
       いつもながら、素晴らしい写真ありがとうございます。小川香料、三木楽器は知らなかったのですが、その他は、通勤で毎日その前を行き来したり、していましたので懐かしいかぎりです。特に石張りの建物がいい味がありますね。
       例の人がいる大阪府庁外観は、いまいちですが、内部は味があります。特に玄関部分の階段とか壁が趣があります。WTCに移っても玄関部分は、残してほしいものです。
    次項有
  • 2010/02/22 05:38
    すごいの一言です。
    大阪に行く機会がぐっと減りましたが、これで行く楽しみが増えました。

    三田には明治8年に建った「旧九鬼家住宅」があり、ここの留守番をしてます。
    擬洋風建築で「建築学」を学ぶ若い学生が来ます。

    三田の愛好家で、大阪の古い建物を・・・巡ろう。
    と話をしております。
    とても参考になりありがとうございます。
    次項有
  • 2010/02/22 08:15
    鉛筆jamjamさん
    > 3ちゃんねるさん

    府庁舎は大正15年に建てられたそうですが、明治から昭和初期までの建物は、どれも玄関ホールに見るべきところがありますね。

    最近は、建て替えるときに古い建物の一部を保存・復元する例が多くなりました。肥後橋交差点の角にある大同生命ビルや大阪証券取引所ビルなどがそうですが、壁面だけを保存する例もあります。毎日新聞大阪本社の移転に伴い、玄関だけが現地(アバンザ堂島)にモニュメントとして保存されています。
    次項有
  • 2010/02/22 08:28
    鉛筆jamjamさん
    > 白熱電球さん

    和洋折衷。この家の当主はハイカラ趣味だったんですね。 (^_^)

    船場にはまだまだ見るべき建物があります。例えば、上に挙げた愛珠幼稚園の隣には緒方洪庵が開いた「適塾」があります。若き日の大村益次郎や福沢諭吉が蘭学を学んだところですが、場所は国の史跡に指定され、建物は重要文化財に指定されています。現在は大阪大学が管理していて、内部の見学ができます。(下の写真は適塾と緒方洪庵の銅像)
    次項有
  • 2010/02/22 08:59
      またまた懐かしいビルの名前が、旧の大同生命ビルの中で、ダンスブームの頃、1階のホールで生演奏のダンスパーティがありました。これは凄かった。 エレキバンドの音響に圧倒された思い出があります。この音饗に、踊り狂うと言う状態の人が多かったので、印象に残っています。  新ビル建設時に毎日横をとおっていましたが、1、2階の下層階部分が小さく上位階が大きい建て方に、大丈夫なのかな?などといらぬ心配をしていました。 
      私が好きな建物に、大阪大学医学部の建物がありました。前庭からのアプローチや低層でしたが建物に趣がありました。川向の阪大病院と共に消えてしまいました。 今は、石碑だけになってしまいました。
    次項有
  • 2010/02/22 10:07
    鉛筆jamjamさん
    > 3ちゃんねるさん

    僕も大同生命ビルのキノコ型の形は不安定で、不安感を覚えます。阪神大震災で倒壊した阪神高速の高架橋も、完成当時に見学した僕は「不安定やな」と直観的に感じましたが、案の定倒れました。
    設計者は計算上は大丈夫だと思っているのでしょうが、設計基準はあくまでも「仮定」の上に成り立っていますから、仮定が崩れると何の役にも立ちません。その意味では人間の目の方が確かだと思います。
    今のような設計計算のなかった時代に建てられた薬師寺の塔が、1300年経っても倒れないのは、棟梁の経験と勘によるものだからでしょう。

    建替えによってなくなってしまうビル、寂しいことですね。中之島の関電ビルの横にあるダイビル(大阪ビルヂング)も近く取り壊されます。せめて玄関の部分だけでも保存してもらいたいものです。
    次項有
  • 2010/02/22 21:29
    ありがとうございます。

    緒方洪庵は1810年生まれ、今年200年祭のはずですね。
    緒方さんの同級生の三田藩出身川本幸民も三田ではお祝いします。
    なにせ日本で最初のビール醸造・マッチ製造をした男です。

    おかげでどんどん楽しみが増えて喜んでます。
    次項有
  • 2010/02/22 22:34
    鉛筆jamjamさん
    > 白熱電球さん

    三田から偉い人が出てるんですね。

    大阪の堂島に「国産ビール発祥の地」と書かれた碑があります。川本さんがつくられたビールとは違うかもしれませんが、大阪へ行かれる機会があったらご覧になればと思います。
    北新地駅から歩いて5分ほどのところです。
    次項有
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