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2007年04月29日(日) 
兵庫県下では貝原前兵庫県知事を筆頭に4,037人が受章されました。日頃から地域社会のために貢献してこられた方々には謹んでお祝い申し上げます。ただその受章者リストを見て、これでええのんと思った。

ほとんどが70歳以上、まれに60代が見えるくらいで、みなさん大変な年配である。実際の地域では、もっと若い..といっても40代・50代の担い手が先頭に立ってコミュニティを背負っている人も多いのだが、そんな人たちは誰一人このリストに含まれていないのだ。

勲章が欲しいわけではないが、今頑張っている人たちを顕彰する制度がもっと欲しい。制度というより、選考の仕組みを少し考えるだけで、十分に社会にもっと好影響を与えられる目に見えた成果が出てくるはず。お年寄りはもとより大切だが、若い人たちもきちんと処遇する配慮がなくては、息切れしてしまうボランティア難民が急増しそうな気がする。

閲覧数6,150 カテゴリ日記 コメント10 投稿日時2007/04/29 16:31
公開範囲外部公開
コメント(10)
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  • 2007/04/29 17:03
    ひよこさん
    貝原元知事さまと、白子元姫路工業大学学長のお二人の名前を見つけました。おめでとうございます。

    国の叙勲は 元○○長が積年のご努力に報いられるもの、つまり長年の道のりの行き着く先にあるものと承知しています。

    したがって、これでええ、とひよこは思います。

    こたつねこ様のおっしゃるような先頭に立ってがんばっている人は、もっと別の報われ方がありましょうね。

    ごくろうさまの勲章はいわば阿弥陀講、現役は観音講。
    棲み分けも大切ですはないでしょうか。
    次項有
  • 2007/04/29 17:44
    仕事で年数回、「○○君の叙勲を祝う会」の演出をさせて頂きますが、
    叙勲って税金免除とかいろいろお徳だそうで、
    若い人にあげると国の財政も大変だとか。
    次項有
  • 2007/04/29 23:11
    >若い人たちもきちんと処遇する配慮がなくては、

    たぶん、若い人はこんなものはほしくない。
    別の世界のことと考えるだけで
    イイじゃないですか。。

    と僕は思います
    次項有
  • 2007/04/29 23:28
    オメメさん
    勲章とか表彰状というのはお金を掛けずに人を感激させるものなんですね。
    スポ-ツだって、体重別があるんだから、勲章も年齢別にしたって良いと思うけど。
    私若い頃はノ-ベル賞を辞退したいというのが夢
    だった。
    次項有
  • 2007/04/30 00:30
    福祉とかなにかにある程度の寄付とかするともらえる勲章がありますよね。
    “悪徳”と評されていたある会社の経営者がその企業をよく見せかける目的で利用していたケースもありました。
    “それ”と“これ”とは別なのですが、そのケースを知ってから本来特別な物であるべき賞なのに僕の中では霞んでしまいました・・・。
    次項有
  • 2007/04/30 01:39
    体重別の観音講を推進して欲しいな~。仕事として報酬もらって頑張ってきた人も偉いけど、無報酬で地域や社会のために貢献している人たちをもっともっと評価してあげられる仕組みが欲しいのです。

    そんな人たちをSNSは可視化できるに違いない。自分にできる範囲で前向きに頑張ってみよう♪
    ノーベル賞はいらんけど、副賞の賞金は貰っておいてもいいですね..(^^;
    次項有
  • 2007/04/30 09:58
     こたつねこさんの意見に賛成です。

     貝原さんや白子先生は、良く存じ上げているので受章は良く判りますが。

     なんで?と思われる人も多々あります。

     叙勲の成り立ちからも、公務員優先の年功序列になることは仕方が無い事かも知れません。
     
     小さくても何か問題を起こすと、貰えません。

      色々ある叙勲を、一度見比べてその意義を考えてみるのも一興かと・・・
    次項有
  • 2007/05/01 10:02
    ja3bxyさん
     こたつねこさんのおっしゃることも、もっともかなあと思います。
     かっては、勲章はその人の死後贈られる物でした。これでは寂しいと言うことか、生存者叙勲という形式になり、生きている人に贈られることに。戦争に従軍し生きて帰った人には、従軍賞、戦死には位階がUPして勲章が贈られる。
     つまり、勲章は、死に土産 の感が強いものでした。
     以前は勲何等とかいって等級がありましたが、この頃は、勲章に等級があるのはおかしいと、その世界で頑張った人にはこれこれの賞というに留まるようですが。
     私も、この春 、受勲したのでなくて、受勲した人の記念パーティーに出ました。中学時代の恩師でした。とても嬉しそうで、先生も古い時代の人だったのだなあと。パーティーの私の席は同窓会という雰囲気でとても良かったです。
     勲章というと思い出すことがあります。
    家内と結婚して、家内の母親と二人いるとき、義母の若い頃からの話しを聞く機会がありました。家内と一回り以上歳の違う家内の兄が近所の腕白小僧と喧嘩をした際、腕白小僧は、兄に「お前のお父さんは二等兵だから死んで帰ってくる、しかし俺のお父さんは軍隊では偉い人だから、今に、部下を一杯連れて、勲章を一杯下げて生きて帰ってくる」と。
     家に帰った義兄は義母に「僕のお父さんは死んで帰ってくるのか」と涙ながらに尋ねたそうです。
     義母は「あの時ほど、勲章が買える物なら食べるものを食べないでもお父さんに勲章を買って上げたいと思った事はない」と言っていました。

     義父も生存者叙勲を受けました。15歳で働き初め、途中、従軍し、帰ってきて65歳まで働きの人生でした。お国のためにの世代でしたから、日本国天皇は........で始まる叙勲を受けた時は嬉しかっただろうと思います。
     振り返って、私は人から褒めて貰ったなんて経験があるのだろうかと、じっと考えて見ました。
     運動会で1等.........そう早くも走れんかったしなあ。
     勉強の分野で........とりたてて出来る方でもなかったしなあ。
     絵がうまいわけでも、字がかけるわけでもなかったしなあ。

    宮沢 賢治ではないが、褒められもせず....。

     でも一つだけある。
    中学に入った年、龍野市でねずみの駆除月間があった。そのイベントに、その期間に龍野市でどれだけの数のネズミが駆除されるかを当てるというのがあったのです。
     みんな応募用紙を配られ数字を書き込む。
    確か、生け捕りのネズミのしっぽを集めて計数とかでなかったかと思います。

     私は自分で言うのも何だが真面目だから、龍野市の人口より、1軒あたりの家族数を想定、家数を割り出し、その家に平均ネズミが何匹、まじめにネズミを捕る猫がいる家を勘案、ねずみを捕らない不真面目なこたつねこがいる家をその数から外し、ねずみ算ももちろん織り込んで。
     そんなことはすっかり忘れていたが、ある日、担任が、「金治よ、君、この間のネズミ、1等だった」と。
     クラスの、心中密かにあこがれていた女の子が「金治君、新聞に出ていた」と。

    当時、月曜日に行われていた全校の集会で表彰された。商品は、鉛筆1ダースだった。
    ミッキイーマウスの勲章とかだったりしたら今でも大切に保存しているだろうに。
     私は大して勉強は出来なかったが、こんな事はコンピューター時代でも、電卓時代でも無かったが、それらにも及ばぬ、天才的能力を発揮した。しかし、その後、その事象で私が能力を使い切ったか、世の中が私を必要としなかったか、ただの人以下に成り切って今に至っている。

     ベトナム戦争が終結したとき、若い帰還兵がホワイトハウスに向かって、従軍勲章を次々と投げ返す姿が忘れられません。

    こたつねこさんも、受賞という観点からでなく、授与する側に回られ、こたつねこ賞を創設され、その賞は、文化勲章もノーベル賞も色あせるというまで権威か高められんことを。
     副賞には、そうだなあ 猫の鈴なんか。 
    次項有
  • 2007/05/05 09:15
    hopeさん
    こんにちは。
    同居人(新聞記者であります)が、以前厚労省担当をしており、叙勲の季節になるとよく怒りを表していたのを思い出しました。
    厚労省には叙勲局というのがあり、専従の職員がいます。叙勲のための事務作業をおこなっているのです。
    受章者を見てみれば、やはり公務員優先、公職優先の人選は明らかで、こたつねこさんがおっしゃるように民間でいま頑張っている人、という観点は、選考基準にはありませんよね。
     それどころか、受章基準を満たすために、さまざまな公の委員職などに「居座る」方々もいます。
     公務員や議員が、公のシゴトをするのは、「当然」ではないのかな、と考えるのは、乱暴な意見でしょうか?
     叙勲があるために、さまざまな地域の公職において、人事の停滞などがあった負の面は見逃せませんし、その膨大な叙勲事務に税金が使われているのも、理解に苦しむところです。

    >今頑張っている人たちを顕彰する制度が
    >もっと欲しい

    レコード大賞のうさんくささが、その賞の価値を消滅させ、むしろゴールドディスク大賞が(数字的データの裏づけが少なくとも共有できるので)価値を持っているようにみえます。
    行政からの顕彰というものも、その顕彰基準の透明度の高さ、というものがないと、叙勲と同様になってしまうような気がしますよね。
    たとえば、市民オンブズマンを一生懸命やっている人が、行政から顕彰を受けられるのか?
    とか。
    そうそう、わたくし個人として、もっとも興味のある表彰制度は、日本経済新聞社の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」でしょうか。
    http://www.nikkeiwoman.net/index_info3.htm
    いろいろな民間の指標で、わかりやすく「いいよねー」と評価しあえたら、いいですよね…
    次項有
  • 2008/05/02 02:40
    sucreさん
    義父が受章しました。例によって70歳以上です(汗)
    義父が若い頃から、家族はそれこそボランティア難民でたいへんだったようで。受章してくれてやれやれという感じです。
    他人のためのボランティアに現を抜かして家庭を犠牲にするなら賞のひとつももらってみろ!と息子に啖呵をきられて、本当にもらってしまいはりました。
    ちなみに今も現役。いつまで続くのか。。。
    次項有
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