毎年何回か、岐阜を訪れる。
内陸の地、季節にメリハリが利いて、、、。
ようするに夏暑く、冬寒い土地柄。
神戸にもどると、いつも気候の“やわらかさに”ホッとする。
それでも岐阜の旧市街が好きで、
行ったときは、かならずその辺を“走り”にいく。
その街は、JRと名鉄(めいてつ)の岐阜駅から
中心市街の柳ヶ瀬を通って北に3キロ、
車なら10分ほどのところ。
長良川が長良橋から忠節橋へと彎曲するあたり、
岐阜城があった金華山の山懐、
三階建ほどの高さの堤に守られた地域。
たぶん武家屋敷というより、商人町、寺町だったのだろうか。
「井ノ口」改め「岐阜」となって以来、商業や文化を支えてきた街。
米屋町、竹屋町、材木町、布屋町、靭屋町、茶屋町、
美江寺町、大仏町、、、そんな町名がいまも生きている。
早朝、そんな界隈、昔ながらの町屋が残るまちなみを通って、
金華山のドライブウエイを駆け上がる。
そして麓の岐阜公園におりてくる。
距離にして7~8㎞、時間にして1時間ほどの
クロスカントリー・ルート。
車が通行禁止の朝7時までに登山道路を走るのがポイント。
夏も冬も、近在の人たちが一人で、夫婦で、数人で、
早朝のドライブウエイ・ウオークを楽しみに登ってくる。
たまには、“走り”のひととすれ違うことも。。
5月の連休、あさ6時過ぎ。
県都第一のお社、伊奈波神社に車を置かせてもらい。
本殿へのごあいさつ、坂道往復3分半。
早朝とはいえ、朝の“お勤め”に参道を登るひとや、
山門前広場で体を動かすひともちらほら。
僕は山門まで戻ってきて、最初の角を右(北)に曲がる。
しばらくは、昔からの生業(なりわい)を大切する問屋、小売、そして料亭が点在する界隈を走る。
岐阜提灯、うちわ、岐阜紙、仏壇、茶道具、
雛人形、剣道具から川魚の佃煮“いかだばえ”まで。
控えめだが重厚な雰囲気の近代建築に立て替えられた社屋と同じ数ほど、
“うだつを上げた”町屋が現役で使われている。
4分ほどで、本町のバス通に出て右折。
右手にあった金華山の山塊が正面にくる。
大仏前バス停を過ぎると、
「金華山ドライブウエイ」の入口。
昭和30年代にはできていたはずのドライブウエイ。
道幅は狭く、急坂、急カーブで山襞を丁寧にトレースしていく。
今は岐阜観光の中心としての役割を終え、静かに余生を送っている。
2分で「この先、一方通行。22:00~7:00通行禁止。遮断ゲートあり。」の標識。
県の歴史資料館や岐阜営林署を過ぎると、急坂にかかる。
森の中、木々が日差しを遮る坂道がつづく。
体が自然につくるペースに任せ、車を気にすることなく、
自分の一歩一歩を確認する狭い視野で淡々と登っていく。
大きく右に曲がって、先ほど通った街並みに張り出す稲荷山の等高線を斜めに稼いでいく、
そして伊奈波神社の谷にえぐられ、左にカーブする。
時たま木々の間から長良川に挟まれた旧市街が朝の日差しに輝いて見える。
ウォークキングの人達-今日は夫婦連れが多い、とあいさつを交わしつつ、
17分ほどで鶯谷女子中高校セミナーハウスまで登ってきた。
ここは海抜100m。
大きく左に折れ、2つのヘアピンカーブで高さを稼いでいく。
さらに5分で遮断ゲート。
道路上に鉄格子の扉がつくられている。
7時開門だから、まだ閉じられている。
歩きのみんなは崖に身を乗り出し、これをかわし、すすんでいく。
【早朝の金華山トライブウエイを散歩するひとびと
奥に遮断ゲートがみえる】
2分で展望駐車場に到着。
すぐ下は鶯谷。
眼下、西北には長良川が川面を輝かせ蛇行し、
手前の岐阜の旧市街と、周辺の田園やニュータウンをつなぐ金華橋、忠節橋、鏡島大橋が見てとれる。
その向こう、伊吹山、養老山脈が、尾張から美濃にひろがる広大な平野の周縁を囲んでいる。
【長良川と忠節橋】
南はjRの高架を挟んで市街地が広がり、
遮るものない平野が木曽川を越えて続いている。
こころなしか、名古屋の高層ビルも見えるようか。
崖に張り出した展望台では、
常連さんと見受ける数人の女性たちが楽しそうに談笑している。
そのまま、まっすぐな上り坂を攻めていくとその直線が尽きるあたり、このルートの最高地点、海抜198mに達する。
ここを過ぎると、道は山の鞍部で幾分広くなり、上空が開け、日差しがてくる。
左手、やや低い位置に原生林が明るくひろがり、
その向こうに、すくっと立ち上がった独立峰・金華山の頂き、岐阜城がみえる。
坂は緩やかに登ったり、下ったり、徐々に下りが多くなる。
まもなく、山頂への徒歩登山道との分岐点にたどり着く。
伊奈波神社から40分弱。
ドライブウエイはこのまま、山の南側、岩戸公園へと下っていくが、
僕はここで今来た道を戻る。
朝のやさしい日差しのなか、
ドライブウエイの最高地点までとって返して、
あとは、樹木のトンネルのなか、一歩いっぽ、体の重さを右と左の足で感じながら下っていく。
却って、下りの方が足にはこたえる。
ゆっくり坦々と。
展望台を過ぎ、遮断ゲートをとおり、
ヘアピンカーブを転げおち、山襞をていねいに辿って、20分。
下界のドライブウエイ入口に戻ってくる。
このまま、伊奈波神社まで走りとおすこともできるが、
きょうは、ここを右に曲がって200㍍の岐阜公園、
ロープウエイの山麓駅を終点とする。しめて1時間。
以前はこの公園に、県立図書館、科学館、動物園、水族館など、いろいろな時代の施設があった。
それぞれ移転や撤去され、広い園地が統一のとれた落ちついた雰囲気になっている。
そのむかし、斎藤道三や織田信長の居館があったところ。
また、明治には板垣退助が暴漢に襲われ、「板垣死すとも自由は~」と云ったとか云わないとかの地。
もちろん、ゆっくり“めい想の小径”や急な“百曲登山道”で、金華山頂まで歩いて登ることもできる。
登りと下りのコースを変えて、
山頂往復のクロスカントリーをたのしむこともできる。
中学時代、二年余り、岐阜で暮らしたことがある。
当時、国鉄の駅前から柳ヶ瀬、伊奈波通を通って、
長良北町まで路面電車が走っていた。
今回の車での行き帰り、
これまでと違い、妙に気持ちよく走れる路面に気がついた。
一昨年の忠節線、美濃町線の市内電車廃止のあとも残っていた路上の線路が撤去されていたのだ。
名鉄バスが撤退し、市営バスもなくなった。
民営、岐阜バス独占の市内バス、郊外バスの中心ターミナルは、
名鉄岐阜駅からJR岐阜駅に移った。
郊外にたくさんんのショッピングモールができた。
日本最大級といわれる、モレラ岐阜は岐阜駅からバスで40分かかる。
中心市街では、丸物(→近鉄百貨点)、山勝(→パルコ)、新岐阜デパートがなくなり、後発の高島屋だけとなった。
街はどんどん変わる。
元気な地域、元気な企業もどんどん移ろっていく。
すこし時代に取り残された、だからこそ、残った界隈。
でも生活がしっかりと息づき、
そこに住まう人たちもしたたかに生き、
それぞれの生業を全国に発信する。
今年も、むかしながらの町屋、
むかしながらのドライブウエイを駆けぬけることができた。
来年もきっと残っているにちがいない。。だといいなぁ。。