なぜ京都に赤穂緞通が多く流通したのか。過程を調べてみたいと最近考えています。
先々週の週末は奈良県天理市と明日香村をウロウロ。泊まった旅館のTVで「パッチギ」を見ました。「生駒トンネル掘ったんは誰や思とんや」という台詞にドキリ。その日通って奈良へ入ったのでした
赤穂緞通とは直接かかわりないのですが、赤穂緞通にかかわっていろんな話を聞きました。 京都では“パッチギ”(前作) http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.ph…p?oid=4970 の時に哲学の道が脚光を浴びたり、ばあやさんもお書きでしたがフォーククルセーダーズのイムジン川がCD化 http://www1.megaegg.ne.jp/~summy/lp/imujin.html があったりした。 皆さんは良くご存知のヒガシマル醤油、昭和の終わりごろ東京にではスーパーにもなかなか見あたらなかった。 それが讃岐うどんをはじめとするうどんブーム、粉末のうどんスープ、それにちょっとどんぶりが脚光を浴び、東海以東の関連商品の売り上げも好調だという。京料理の貢献もあるが映画“UDON” http://ja.wikipedia.org/wiki/UDON の貢献度が高いという話を聞いた。 クロード・チアリさんがコマーシャルに出ていたのはもっと昔だと思うのですが・・・。 |