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2006年10月31日(火) 
 観光客のいない奈良を歩くのはいいものです。歴史に直に向きあえるという意味で・・・。そして、このことを実感できるのが佐紀です。

 佐紀というのは奈良・平城宮跡の真北に接する地域ですが、ここには古墳時代中期に造られたと思われる大規模な前方後円墳が蝟集していて、平城京が造られる遥か以前から人の手が入っていたことが分かります。そして佐紀盾列(たたなみ)古墳群と呼ばれるここの古墳には、なぜか女性のものとされている墳墓が目立ちます。神功(じんぐう)皇后、日葉酢媛(ひばすひめ=垂仁天皇后)、磐之媛(いわのひめ=仁徳天皇后)等々。

 また、この地は万葉集にたくさん詠まれている歌まくらの地でもあります。地形的には、低くなだらかな丘陵が北に控える山すそといった感じの、優しい日本的な風景で、恐らくは、いにしえの都人たちの格好の行楽地であったでしょう。宮廷の女性たちは、春に秋にこの野原で草を摘み、花を愛で、歌を詠んだことであろうと思われます。

  をみなえし 咲く(佐紀)野に生ふる白つつじ
 知らぬこともて いわれしわが背

  春日なる三笠の山に 月も出でぬかも
 佐紀山に咲ける桜の花の見えゆべく

  をみなえし 咲く(佐紀)沢の辺の真葛原
 いつかも繰りて 我が衣に着む

  かきつばた咲く(佐紀) 沼の菅を笠に縫い
 着む日を待つに 年そ経にける

 古墳の周濠やため池など広い水面の多いこの地には、秋になると夥しい数の水鳥が飛来します。小春日和の日などに散策するのも、またいいものです。奈良を愛する人、古代史や万葉集に興味をお持ちの方にぜひ歩いてもらいたい場所です。

 詳しくは、http://www1.odn.ne.jp/~cea07800/saki.htm

 写真左は日葉酢媛命陵、中は水上池、右は空から見た佐紀地区

閲覧数3,288 カテゴリ日記 コメント7 投稿日時2006/10/31 07:42
公開範囲外部公開
コメント(7)
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  • 2006/10/31 09:08
    随分前になりますが、大阪府立大学の中尾佐助先生から万葉集の時代についてお話を聞いたことが有ります。万葉集に出てくる植物は萩が一番多く、そのことは自然破壊が進んでいたことを物語っているとの話しでした。私達が想像している以上に大きな都だったのでしょう。沢山の自然林が伐採されて、放置されたままの森に萩が育ったのでしょう。中尾先生の植物学は素人でも面白いですよ。有名な先生なので図書館には必ず本があります。一度読んでみてください。
    次項有
  • 2006/10/31 09:30
    鉛筆jamjamさん
    小嶋さん、ありがとうございます。いちど中尾先生の本を探して読んでみます。

    「自然破壊」 というと、とてつもなく悪いことのように思いがちですが、考えてみれば人間は純粋な自然の中では生きてはゆけない動物です。これは人間がつくった家畜たちも同じことです。だから里山や農地は、人間がつくった人間のための自然だと言えるでしょう。ただ、近年問題になっている熊や猪と人間との関係を考えるとき、純粋な自然と人間がつくった自然との調和を、いかにしてつくり出していくべきかを考える時期に来ているように思えます。
    次項有
  • 2006/10/31 12:42
    WRさん
     称徳(孝謙)天皇陵も佐紀にありますね。ただ、奈良時代に大きな前方後円墳を作ったりしませんから、この古墳が称徳陵というのはかなり怪しいです。

     あれ、今気がついたのですが、添付の航空写真で「孝謙天皇陵」とあるのは、実は「成務天皇陵」ではないですか。称徳(孝謙)天皇陵は成務陵の南で後円部を東北東に向けた古墳だったと思うのですが・・・。
     
    次項有
  • 2006/10/31 13:14
    鉛筆jamjamさん
     おっしゃるとおり 「孝謙天皇陵」 とあるのは「成務天皇陵」 の間違いです。貼り付けるときにうっかりミスをしました。ご指摘ありがとうございます。早速修正します。
     
     天皇陵、皇后陵は宮内庁が決めただけで、前史時代の古墳はほとんどが怪しいものですね。ここにある古墳の中で、唯一信憑性があるのは平城天皇陵でしょう。これは規模の小さい円墳だし、天皇自体も実在した人物ですから。

     でも、考古学的見方を離れて、非科学的に当時の社会や人間模様をいろいろと想像するのは楽しいものです。これはもう文学の世界ですが、
    次項有
  • 2006/10/31 21:14
    WRさん
     佐紀やその東方の佐保は、万葉人には郷愁を誘う土地だったようです。

    飫宇の海の河原の千鳥汝が鳴けば
    我が佐保川の思ほゆらくに

     門部王が出雲守として赴任していたときの和歌です。宍道湖の千鳥の鳴き声で、佐保川の千鳥を連想したのでしょうか。
     この和歌のためか、旧国鉄の木次線を走る急行に‘千鳥’という名が付けられていました。
    次項有
  • 2006/10/31 22:06
    鉛筆jamjamさん
    いい歌ですね。

    奈良の都は僅か70年ほどしか続かなかったのに、数え切れないほどのものを私たちに遺してくれました。

    奈良の地名を聞いただけで、畿内に育った僕などは、万葉人のように郷愁を感じるから不思議です。あのあまりにも有名な阿倍仲麻呂の歌に出てくる三笠の山、そして佐紀、佐保、高円山、秋篠川、どれもが奥ゆかしくて優しくて懐かしい響きです。 
    次項有
  • 2006/11/01 10:22
    鉛筆jamjamさん
    空撮写真をWRさんの指摘があって修正したのですが、またまた間違っていました。うっかりミスばかりです。歳を感じます。WRさん、ごめんなさい。
    次項有
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