神道は宗教なのだろうか。まず、教典がない
、綺麗な所は敬い、汚いところは清める、ただそれだけで、他の宗教が入ってきても排除しないばかりか、なんでも入れてあげる。
いじめなんかしない。何でこんな凄いもの考え出したたのだろうか。
宗教戦争で未だに争いがたえない国々は遅れている。
「神様、仏様、稲尾様」 1958年の日本シリーズ、読売ジャイアンツに3連敗した後の第4戦、西鉄ライオンズの三原監督は、第1戦、第3戦に先発した稲尾をスタメンでマウンドに上げた。そしてその試合で勝利をもぎ取ると、後の3試合でも稲尾を起用し続けて4連勝し、奇跡の大逆転日本一を成し遂げた。実に7試合中6試合に登板(うち5試合に先発、4試合完投)し、第3戦以降は5連投、更に第5戦ではシリーズ史上初となるサヨナラホームランを自らのバットで放つという、文字通り「獅子奮迅」の活躍を見せ、ファンからは「神様、仏様、稲尾様」と崇められた。江川も松坂もここまでは言われない。それくらい凄い投手だったのだろう。 もうひとつこのエピソードには、「神さま」と「仏さま」をいっしょこたにしてしまう日本人の宗教観のいいかげんさが如実に表れている。だって、神道の神様と仏教の仏様は、もともとはまったく異なる信仰に基づく象徴であるからだ。もともと神道は日本古来の土着信仰を元とし、仏教はその後当時の政権が移入した外来信仰であったという。いったいいつ頃から日本人の宗教観がこのように「ええかげん」になったのか、興味があったので本を手に入れて読んでみた。 義江彰夫,『神仏習合』,岩波新書,1996 ことは、8世紀後半から9世紀の初めにかけて、全国のいたるところでその地域の大神として人々の信仰を集めていた神々が、次々に神であることの苦しさを訴え、その苦境から脱するために、神々の身を離れ(神身離脱)、仏教に帰依することを求めるようになってきた(P12)。 仏教側はこのような神道の動きを適確にとらえてむ、民間を遊行する僧たちの手で神々を仏教へ積極的に取り込むように働きかけたのである。ここで活躍するのが満願禅師である。伊勢国桑名郡養老山塊の南端にある多度山にある多度大神(豊饒の神)の場合、満願禅師は、神が鎮座する多度山の南辺を伐り払って小堂を建て、その中に菩薩形の神像を彫り上げて安置した。これが多度神宮寺のはじまりとなった。 その後地方の豪族などから鐘や塔の寄進を受け、しばらく後に多度大神は多度大菩薩としても崇められるようになったわけだが、菩薩とはもともと悟りをひらくまえの釈迦のことをいい、大乗仏教で悟りを求めて修行する人のことである。仏になろうとする神、ここに神仏習合の典型モデルがある。政治がもとめたもの、民衆の動向、宗教にかかる潮流など、神仏習合の背景は古代から中世に衣替えをする日本という国のふるまいが凝縮されているようだ。 つづいても、いいかな?! |