私の父が足利出身なので、この地域には
土地勘がありますが、自主独立の気風があり、
工学大学も必要とあれば、共同出資で設立
する土地柄です。義に厚く頼りになります。
同行できずに残念!
5月7日(土)、次男と一緒に群馬県桐生市に行ってきました。 「大震災【村つぎ】リレー」プロジェクトの盛岡への試走によって明らかになった課題のひとつである被災地に物資を中継する集積拠点に「桐生SNS」の仲間達が手を挙げてくれたことから、御礼のご挨拶と今後の打ち合わせに、新幹線と在来線を乗り継いで初めての桐生への旅(姫路から片道約5時間半)でした。 http://sns.kiryu.jp/ 話せば長くなりますが、ひよこ先生と一緒に参加している(独)科学技術振興機構(JST)の「脱・温暖化プロジェクト」のリーダーである堀尾正靱先生が【村つぎ】の活動に感激して下さり、こちらの要望を受けてプロジェクトメンバーにあたって下さっていたところ群馬大学工学部(桐生市)の天谷賢児先生のチームにヒット。 http://www.tech.gunma-u.ac.jp/CO2PJ/index.html このネットワークが桐生SNSと直結していて、桐生地区のキーパーソンである塩崎泰雄さんにつながりました。塩崎先生とわたしは、かれこれ15年以上のつきあいで、パソコン通信(わたらせネット)による地域再活性化を目指した過去の実績もよく似ていることから弟のように親しくして頂いていました。そんな敬意もあって桐生SNSの立ち上げにも加わらせて頂き、普段から大変よい勉強をさせて頂いていました。 全然関係のないルートで、お互いの親しい方々が繋がっていたことへの驚きは、そのまま「スモールワールド」理論の実践と言え、信頼関係の上に支援の仕組み構築への動きがトントン拍子に進んだ秘密は、こんな関係性にありました。塩崎先生がつないでくれたのが、訪問介護やディサービスを展開する(特)わたらせライフサービスの宮地由高理事長。このNPOを年間2億円以上の事業を行う社会福祉組織に育て上げた立役者で、地元の老舗お菓子屋さんの経営者でした。桐生には、地域づくりに本気で取り組む「人物」が多数おられると聞いて、その歴史と文化を大変羨ましく思いました。 http://www.wataraselife.jp/watarase/ 和菓子製造販売「青柳」宮地由高社長 桐生市には、福島原子力発電所から10km以内の避難地域から100人近い住人が疎開してきておられます。しかし、これを受け入れた桐生市が提供した市営住宅は、「風呂釜がない」とか「ガスコンロがつかえない」とか「電灯のソケットがない」などそのまま生活するには非常に困難な状態だったそうです。着の身着のままで避難を強いられた方々の苦境を知った宮地さんたちが、行政にはできない細かなサポートに動き出したのは、それからほどなくのことでした。 宮地さんたちが立ち上げたのは、避難者に生活に必要な物資提供する「桐生のサポートセンター」。菓匠青柳が所有している歴史建造物である織物工場跡の「ノコギリ屋根倉庫」を提供。そこに市民が食器や衣類・毛布・家具・電化製品などを持ち込んで、避難住民が必要な物品を無料で持ち帰ることができる仕組みです。地元の上毛新聞によると福島県から避難している岩渕美沙さん(28)は「毛布と子供服だけを持って自宅を離れた。足りない生活品が手に入って本当に助かる」など、4月から動き出したセンターの活動は、大いに役立ち社会的な評価を受けています。 旧織物工場の「ノコギリ屋根倉庫」 宮地さんたちの活動は避難住民支援だけに止まらず、被災地で被災者に炊き出し支援をするため、「桐生災害支援ボランティア派遣センター」を設立、宮城県岩沼町に大勢の「泥かきボランティア」を継続的に派遣していたり、「現地には行けないけれど役に立ちたい」という市内の婦人会メンバーなどと一緒に近隣の民間会社で調理の下ごしらえをして、茨城県大洗町や宮城県南三陸町で避難している数百人のために、現地で炊き込みご飯と豚汁を作るなどの動きを毎週末に実施しているなど多岐にわたります。 左から、宮地理事長、塩崎先生、センター担当の柄澤正則さん、こたつ次男の和崎大知くん このような立派な活動を楽しく元気にこなしておられる方々と共に活動できる機会を頂けたことを大変光栄に思います。 |