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2011年06月12日(日) 

 

オーストラリアの北の端に「木曜島」があります(地図の赤い星)。

貝殻から高級ボタンをつくる真珠貝の採取が戦前に盛んでした(今は合成樹脂が主流となりすたれました)。

19世紀末にボタンの需要に対応するため、マレー人・中国人など、いろんな民族に真珠貝採取をやらせましたが、とても危険な仕事のため、うまくいきません。

そこで、紀州の日本人に大きな報酬を約束し声をかけます。当時、東京も鉄道も知らない貧困な紀州の人たちは勇躍、豪州に行きました。

 

紀州の串本や古座などの地域ごとに船のチームを組ませ、チームごとに競争させると実に良く働きました。各船のダイバーは1人でチームが支えます。

白人のダイバーはせいぜい1日1トン真珠貝を挙げれば上等でした。しかし、別の日本人チームが5トン挙げれば、競って7トン挙げる。やがて8トン、11トン、12トンと記録は更新されます。

 

司馬遼太郎は「木曜島の夜会」の中で、この行動様式を興味深く書いています。

司馬は、元ダイバーの老人に語らせています。「はじめは欲だが、だんだん金銭から離れてゆく。自分の以前の記録と他の船に対する競争だけになってしまうな。海底では、もう金銭もなにも念頭にない。何トン水揚げするかということだけやったな。…みな鬼になってしまう。」

 

このように、日本人は、最初は金銭が動機でしたが、仲間と技量を競ううち、金は頭から離れていきます。命よりも自分の限界を超えて技術を競っていく宗教的な純粋な動機になっていきます。これが道を究める「職人気質」というのだと思います。

 

潜水病による死亡率が毎年10%で、700人の日本人が潜水病などで命を落としました。金銭だけを考えれば親方(経営者)になるのがてっとり早いのですが、日本人は危険なダイバーとして極限までの競争を選びました。

司馬は老人にさらに語らせます。「神様がせめて50歳に戻してくれるならもう一度やる。あんな面白いことはなかた。」「日本人の性やな。」

 

「職人気質」のために、危険な真珠貝採取が日本人の独占状態になり、戦前の木曜島の人口の4割600人余りが日本人となりました。日本人は、どこにいっても日本人らしさを発揮したのです。

 

何も資源のない日本がこれだけ豊かになったのも、この極限を極めてゆく宗教的ともいえる「職人気質」のおかげではないでしょうか。

 

私は、豪クイーンズランドの客員研究員だった1995年に木曜島を訪問し、日本人の痕跡をみてきました。就職したばかりの1983年に和歌山県庁に出向したので、感激もひとしおでした。

パールダイバーの潜水具 重たそうです

 


木曜島の日本人の墓です 「紀伊 潮岬」と読めます

 

播磨にも数多くの世界級の特産品があります。日本酒、食品、農産加工品などです。優秀な生産者がいらっしゃることは心強いです。この職人気質を播磨のブランド力アップに活かし、世界にアピールしていただきたいと思います。


閲覧数844 カテゴリ日記 コメント8 投稿日時2011/06/12 13:58
公開範囲外部公開
コメント(8)
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  • 2011/06/12 15:00
    ここにも道を究める方たちが生きていたのですね。
    武士道にも剣道や柔道・・・
    茶道・華道・・・その道を極められる日本人です。。。
    次項有
  • 2011/06/12 16:32
    > 夢見る夢子(夢は叶う)さん

    仕事まで、「道」としてきわめ尽くす日本人。

    道をきわめた職人が特に尊敬されるのは、日本社会の特質だそうです。
    「ものづくり技術」立国日本の基礎があると思います。
    この日本人の精神を大切にしたいものです。

    ありがとうございました。
    次項有
  • 2011/06/12 16:32
    日本の誇りですね!

    現在、ゴビ砂漠を緑化に努力している人。

    今も昔も、すばらしい人材は宝です。
    次項有
  • 2011/06/12 16:38
    > お節介焼さん

    紀州の人たちは、林業従事者がほとんどでした。しかし、競争することで、技量を極めて行き、白人の10倍の生産性を誇る世界一のパールダイバーとなりました。

    自分たちは普通に日本人として生きていることが、このような結果につながったのです。

    おっしゃるとおり、この宝の精神を大切にしたいものです。

    ありがとうございました。
    次項有
  • 2011/06/12 18:36
    gracemoonさん
    「木曜島」ってケアンズの近くにあるのですね(^_^)

    この2年ほど春と夏になりますと娘がケアンズの高校に短期留学をするためその付き添いで行っておりましたが、そこでも木曜島で頑張っておられたあのすばらしい日本人と同じ様な方々と出会いましたよ(^o^)

    異国の地で辛く悲しいことがあっても彼らは日本人としての誇りを持ち続け、強く生き、また日本人同士助け合っておられるその姿には感動いたしました。

    来年ケアンズに行ったらまた彼らに会うのが楽しみです(^_^)v

    コメントの写真ですが、ケアンズに住む日本人のパーティーで出だされた食事です。

    ラップしているのはハエよけのためです(笑)

    この細巻きですが、アボカドと他の食材(カツ、マグロ、チーズ)などの組み合わせがおもしろいですね。

    どれも南国風で美味しかったですよ(^o^)

    異国で食べる日本食も良いものですね(*^_^*)
    次項有
  • 2011/06/12 19:46
    > gracemoonさん

    写真は、司馬遼太郎「木曜島の夜会」の主人公トミー・フジイ(藤井富太郎)さんの像です。

    太平洋戦争の始まりで、日本人ダイバーたちは本土の収容所に送られ、木曜島の真珠貝採取は幕を閉じます。
    しかし、私の訪問当時も4000人の人口中、350人が日系人だということでした。

    異国の地で苦労する日本人・日系人を、藤井さんがいろいろと助けてこられました。
    「異国の地で辛く悲しいことがあっても彼らは日本人としての誇りを持ち続け、強く生き、また日本人同士助け合っておられる」のは、ケアンズでも同じなんですね。

    ありがとうございます。
    次項有
  • 2011/06/13 00:14
    ミヤジさん
    日本は職人の国だ!とウチの副社長がよく言っていますがそれを極限まで昇華させるとこうなるんですね!!
    私も少しずつでも良いから昇華させる様がんばらないと・・・
    次項有
  • 2011/06/13 00:20
    > ミヤジさん

    損得抜きに、日本人は極限まで技術を
    極めた結果、ものづくり大国日本ができ、
    経済大国になれたのだと思います。

    これは、道をきわめるのに似ています。

    私もサービス業に従事している者として、
    頑張りたいと思います。

    ありがとうございました。
    次項有
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