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2012年10月07日(日) 
 昨日、鴨川堤を車で走っていると、横目に赤いものがチラチラ目に入る。
信号待ちの時によく見ると、水際に彼岸花の一群が咲いていた。京都は、
今、彼岸花の赤が咲き誇っている。そして、これからは、彼岸花を見ると、
きっとROMさんのことを思い出すようになるだろう。        
                                 
 私のメルマガ(ブログ)にROMさん初登場は17号(98年12月14日)から
だった。その時は「友人」としか書いていないが、ROMさんなのだ。 
http://www.eonet.ne.jp/~yammu/1998.html              
◆29号(99年3月25日号)にはROMさんのお父様まで登場して頂いた。 
http://www.eonet.ne.jp/~yammu/1999.html              
◆56号(2000年6月3日)にはROMさんから聞いた息子さんの話を書いた。 
http://www.eonet.ne.jp/~yammu/2000.html              
◆85号(2001年6月26日)ではオーメン男としてこんなことを書いている。 
                                 
 昔、オーメンという恐怖映画があった。主人公は確かダミアンとか
いう少年で、6月6日が誕生日だったと思う。そのオーメンと同じ日
が誕生日の友人の実話。                    
                               
 中学の頃から百キロを超えたその男は、今は白髪まじりで悪役が似
合う風貌。人込みの中、百メートル先から歩いてきてもすぐに見つけ
られるほど目立つ男である。                  
                               
 ある日、その彼が中古CD屋にぶらりと入った。そこは買えば買う
ほど安くなるシステムで、彼は喜んで10枚20枚とCDを選び出していた。
ふと見ると、高校生くらいの女性が二人、同じようにたくさんのCD
を選んでいた。悪知恵に長けたオーメン男は、つかつかと彼女たちに
歩み寄り、「一緒に買わない」と誘った。両者のCDを合わせると、
お値段はぐんとお得になるのだ。あいにく細かい金のなかった友人は、
「これで一緒に買って、後で精算しよう」と財布から一万円を出した。 
                               
 その時だった。いきなり、「何してるんですか!」と女性の鋭い声
が飛んできた。補導員の先生だった。若い女の子に万札を渡し、援助
交際を求めるイヤラシイ中年男と映ったのだ。イヤラシイ中年男以外
はすべて真実ではない。理由を話してなんとか納得してもらったそうだ。
当世、「李下に冠を正さず」ではなく、「女子高生に万札を渡さず」なのだ。 
                                 
 「オーメン男」が「ROM君」になったのは、どうやら◆2002年7月8日
「ラッキーパーソン」からのようだ。                
http://www.eonet.ne.jp/~yammu/2002.html              
◆149号(2003年12月5日)では、バックできなくなった運転手に代わっ
てタクシーを運転したROMさんの英雄伝説を紹介させてもらった。  
http://www.eonet.ne.jp/~yammu/2003.html              
◆161号(2004年7月1日)「嵐の25日間」では、困った時には本当に頼りに
なるROMさんのことを書いた。                  
http://www.eonet.ne.jp/~yammu/2004.html              
◆224号(2007年3月26日)「天神さんとROMさん」では、彼のお店の名
前の由来、初代万(よろず)市松から店の名を取って万市にしたという話
と、よろず市松と言うくらいだから、何でも頼まれ、そのリクエストに応
えて商売をしてきたご先祖様(直系ではないそうだが)の伝統が今も続い
ている話を書いた。                        
http://gofukuten.blog.eonet.jp/default/myblog/           
◆252号(2009年4月7日)「京の伝統を支える者」では、舞子さんに憧れ、
地方からやって来る若い人のことを書いたのだが、その末尾は、    
京都の伝統は、親友のROMさんのように京の町の真ん中で生まれ、 
どっしりと重石(おもし)のように…(外見だけでなく)…暮らしてい
る人だけでなく、京都にあこがれてやってくる、このような外からの若
い人たちにも支えられていることが、改めてわかった。       
というふうにまとめていた。                    
◆277号(2011年4月20日)では、河井寛次郎の初期作品「愛染鳥子」の
話を紹介し、「愛染鳥子とは因縁のあるという親友のROM氏と、じっく
り再度見ることができればいいなあと思っている。」と書いている。  
http://gofukuten.blog.eonet.jp/default/2011/04/          
                                 
 しかし、もう一緒に見ることは叶わなくなった。12年間肝臓に持病を抱
えながら、耐えてきた彼が、突然、逝ってしまった。ここ何年間かは、彼
が「ひょこむ」(http://hyocom.jp/ )に毎日書き込むブログを安否確認に
使っていた。彼は、毎日、店に出て、パソコンに向かい、一日に何十回と
ブログを更新するのが日課だった。そんな彼を悼んで、今日のひょこむの
トップページ「お知らせ」には、こんなメッセージが書かれていた。  
★【追悼】希代のブロガーで「ひょこむ」6年間の歩みに大きな影響を
与えてくれたROMさんが急逝されました。 謹んでご冥福をお祈り申し上
げますとともに、哀悼の意を表します。合掌!!           
                                 
 確か、9月19日頃に店に行き、奥でいつものように火鉢をはさんで座り、
お茶を入れてもらって、半時間程雑談したのが最後になってしまった。ど
んな話をしたのか忘れてしまったが、大した話はしていなかったのだろう。 
8月もそうだったが、最近は僕の話を聞きながら、時々居眠りしているよ
うな様子を見せていた。「しんどいか?」と聞くと、決まって「大丈夫」と
答える。だが、辛そうな様子はずっと気になっていた。         
                                 
 ブログの書き込みは、9月28日に足が痛いからしばらく休みますという
のが最後だった。まさか、それが癌の転移によるものだとは…。こっちは
足の痛みが治まったら、またブログを始めるものだと、高(たか)をくく
っていた。だから、奥様からの亡くなったという電話は、正直、信じられ
なかった。その時の気持ちを、彼の好きな野球に例えると、延長12回裏、
ツーアウトランナー1塁、打者が内野に凡フライを打ち上げ、誰もがチェ
ンジと思ったら、内野手のグラブからポロッと球がこぼれて、1塁走者が
長駆本塁を駆け抜け、試合終了。「そんなアホな~」という感じだ。  
                                 
 今まで何回も死線を乗り越えてきたのに。これからもずっと茶飲み話を
しようと思っていたのに。困った時はどこに行ったらいいのや。書きたい
こと、言いたいことは山ほどある。しかし、昨日、最後に見た安らかに目
を閉じた顔は、これまでの苦しみから開放された穏やかなものであった。
奥様から小瓶を渡され、大好きだったウィスキーをたっぷりとかけてあげ
た。心の中では「ありがとう、ありがとう」と呟いていた。      
                                 
 「あの世から 見れば死ぬ日は 誕生日」という川柳がある。きっと、
あちらの世界はうるさくなっただろう。その分、こっちは淋しくなってし
まった。彼岸花の頃、親友のROMさんは一陣の風のごとく逝ってしまった。 
彼岸花の花言葉は、「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」。それに、「悲しい
思い出」、「想うはあなた一人」。そして、「また会う日を楽しみに」。   

閲覧数258 カテゴリ日記 コメント14 投稿日時2012/10/07 15:17
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