昨日、鴨川堤を車で走っていると、横目に赤いものがチラチラ目に入る。 信号待ちの時によく見ると、水際に彼岸花の一群が咲いていた。京都は、 今、彼岸花の赤が咲き誇っている。そして、これからは、彼岸花を見ると、 きっとROMさんのことを思い出すようになるだろう。 私のメルマガ(ブログ)にROMさん初登場は17号(98年12月14日)から だった。その時は「友人」としか書いていないが、ROMさんなのだ。 http://www.eonet.ne.jp/~yammu/1998.html ◆29号(99年3月25日号)にはROMさんのお父様まで登場して頂いた。 http://www.eonet.ne.jp/~yammu/1999.html ◆56号(2000年6月3日)にはROMさんから聞いた息子さんの話を書いた。 http://www.eonet.ne.jp/~yammu/2000.html ◆85号(2001年6月26日)ではオーメン男としてこんなことを書いている。 昔、オーメンという恐怖映画があった。主人公は確かダミアンとか いう少年で、6月6日が誕生日だったと思う。そのオーメンと同じ日 が誕生日の友人の実話。 中学の頃から百キロを超えたその男は、今は白髪まじりで悪役が似 合う風貌。人込みの中、百メートル先から歩いてきてもすぐに見つけ られるほど目立つ男である。 ある日、その彼が中古CD屋にぶらりと入った。そこは買えば買う ほど安くなるシステムで、彼は喜んで10枚20枚とCDを選び出していた。 ふと見ると、高校生くらいの女性が二人、同じようにたくさんのCD を選んでいた。悪知恵に長けたオーメン男は、つかつかと彼女たちに 歩み寄り、「一緒に買わない」と誘った。両者のCDを合わせると、 お値段はぐんとお得になるのだ。あいにく細かい金のなかった友人は、 「これで一緒に買って、後で精算しよう」と財布から一万円を出した。 その時だった。いきなり、「何してるんですか!」と女性の鋭い声 が飛んできた。補導員の先生だった。若い女の子に万札を渡し、援助 交際を求めるイヤラシイ中年男と映ったのだ。イヤラシイ中年男以外 はすべて真実ではない。理由を話してなんとか納得してもらったそうだ。 当世、「李下に冠を正さず」ではなく、「女子高生に万札を渡さず」なのだ。 「オーメン男」が「ROM君」になったのは、どうやら◆2002年7月8日 「ラッキーパーソン」からのようだ。 http://www.eonet.ne.jp/~yammu/2002.html ◆149号(2003年12月5日)では、バックできなくなった運転手に代わっ てタクシーを運転したROMさんの英雄伝説を紹介させてもらった。 http://www.eonet.ne.jp/~yammu/2003.html ◆161号(2004年7月1日)「嵐の25日間」では、困った時には本当に頼りに なるROMさんのことを書いた。 http://www.eonet.ne.jp/~yammu/2004.html ◆224号(2007年3月26日)「天神さんとROMさん」では、彼のお店の名 前の由来、初代万(よろず)市松から店の名を取って万市にしたという話 と、よろず市松と言うくらいだから、何でも頼まれ、そのリクエストに応 えて商売をしてきたご先祖様(直系ではないそうだが)の伝統が今も続い ている話を書いた。 http://gofukuten.blog.eonet.jp/default/myblog/ ◆252号(2009年4月7日)「京の伝統を支える者」では、舞子さんに憧れ、 地方からやって来る若い人のことを書いたのだが、その末尾は、 京都の伝統は、親友のROMさんのように京の町の真ん中で生まれ、 どっしりと重石(おもし)のように…(外見だけでなく)…暮らしてい る人だけでなく、京都にあこがれてやってくる、このような外からの若 い人たちにも支えられていることが、改めてわかった。 というふうにまとめていた。 ◆277号(2011年4月20日)では、河井寛次郎の初期作品「愛染鳥子」の 話を紹介し、「愛染鳥子とは因縁のあるという親友のROM氏と、じっく り再度見ることができればいいなあと思っている。」と書いている。 http://gofukuten.blog.eonet.jp/default/2011/04/ しかし、もう一緒に見ることは叶わなくなった。12年間肝臓に持病を抱 えながら、耐えてきた彼が、突然、逝ってしまった。ここ何年間かは、彼 が「ひょこむ」(http://hyocom.jp/ )に毎日書き込むブログを安否確認に 使っていた。彼は、毎日、店に出て、パソコンに向かい、一日に何十回と ブログを更新するのが日課だった。そんな彼を悼んで、今日のひょこむの トップページ「お知らせ」には、こんなメッセージが書かれていた。 ★【追悼】希代のブロガーで「ひょこむ」6年間の歩みに大きな影響を 与えてくれたROMさんが急逝されました。 謹んでご冥福をお祈り申し上 げますとともに、哀悼の意を表します。合掌!! 確か、9月19日頃に店に行き、奥でいつものように火鉢をはさんで座り、 お茶を入れてもらって、半時間程雑談したのが最後になってしまった。ど んな話をしたのか忘れてしまったが、大した話はしていなかったのだろう。 8月もそうだったが、最近は僕の話を聞きながら、時々居眠りしているよ うな様子を見せていた。「しんどいか?」と聞くと、決まって「大丈夫」と 答える。だが、辛そうな様子はずっと気になっていた。 ブログの書き込みは、9月28日に足が痛いからしばらく休みますという のが最後だった。まさか、それが癌の転移によるものだとは…。こっちは 足の痛みが治まったら、またブログを始めるものだと、高(たか)をくく っていた。だから、奥様からの亡くなったという電話は、正直、信じられ なかった。その時の気持ちを、彼の好きな野球に例えると、延長12回裏、 ツーアウトランナー1塁、打者が内野に凡フライを打ち上げ、誰もがチェ ンジと思ったら、内野手のグラブからポロッと球がこぼれて、1塁走者が 長駆本塁を駆け抜け、試合終了。「そんなアホな~」という感じだ。 今まで何回も死線を乗り越えてきたのに。これからもずっと茶飲み話を しようと思っていたのに。困った時はどこに行ったらいいのや。書きたい こと、言いたいことは山ほどある。しかし、昨日、最後に見た安らかに目 を閉じた顔は、これまでの苦しみから開放された穏やかなものであった。 奥様から小瓶を渡され、大好きだったウィスキーをたっぷりとかけてあげ た。心の中では「ありがとう、ありがとう」と呟いていた。 「あの世から 見れば死ぬ日は 誕生日」という川柳がある。きっと、 あちらの世界はうるさくなっただろう。その分、こっちは淋しくなってし まった。彼岸花の頃、親友のROMさんは一陣の風のごとく逝ってしまった。 彼岸花の花言葉は、「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」。それに、「悲しい 思い出」、「想うはあなた一人」。そして、「また会う日を楽しみに」。 |