今度の参議院選の結果を受けても、僕らはどの党が実権を握ろうと従うしかないようなことだが、以前にも日本新党、新生党、社会党と自民以外の政権が、天下をとってリーダーが変わったことがあったが、別に庶民にはどうということもなかったようにも思える。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする」
というのは、『新約聖書』に出てくる言葉である。
僕はキリシタンではないが、イエス・キリストという人に興味を持って二ヶ月ほど関連の本を読みあさったことがある。
なぜ興味を抱いたかというと、彼のリーダーシップのあり方もそうだが、もう十年ばかり前に『文明の衝突』という本が出ていて、そこに宗教・民族・文化の異なるものはやがて戦争を始める時代が来るだろうという予測があって、確かに今日のいわばキリスト教社会とイスラム教社会との激突が、現在さらに深刻視されていることが気になっていたからであった。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yorikawa/pdf/sassi/iesu.pdf 庶民の憤懣の中から、新しい潮流が出てくる。
歴史は遡及できないし、もしもということはありえないけれど、「荒れ野」にイエスという人が出てきて人々はどう救われたのか、もし出てこなかったなら人々はどうであったのか、ということは気になることではある。
「天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずまずその心志(精神)を苦しめ、その筋骨(身体)を労せしめ、その体膚を飢えしめ、その身を空乏(困窮)にし、その人の行うや、その為さんとする所に払乱(逆流)せしむ」
以上は孟子の告子下篇にある言葉だそうである。
「天の大任」を負う人物達は苦難は覚悟の上なのだろうが、あたりまえのことだけど僕自身は「天」の一員ではないし、「荒れ野」に住まう塵のような人間であるけど、彼等の権力闘争に明け暮れるような政治だけは御免被りたいといつも思う。
その権力闘争は、「文明」を異にする「衝突」ほど大袈裟なものではないのも確かで、もしかして一編の映画か小説か演劇の場面に感情移入して、ドラマを楽しんでいるようなものにしか過ぎないかもしれないのだ。
ま、茶番なら面白けりゃいいかな・・・。平和だからね、日本は。