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2013年07月29日(月) 

考え方や思想がまったく違う人たちや、生活習慣そのものが異なるような人たちの集まりで合意形成を図ったり、もともと内部に利害関係や対立意識のある集団において結論を求めて議論を進めていくことに関して、過去さまざまな方法が編み出されてきた。ここで紹介する「ロバート議事法(Robert's Rules)」も、組織や会合を民主的にかつ効率的に運営するために作られた会議進行の方法論のひとつで、米国陸軍ヘンリー.M.ロバート少佐(当時)により考案、1876年に初版本が発行されて以来、米国において最も標準的かつ権威ある議事法典として各種の団体で採用されてきた。

ロバート議事法では、多様な意見が活発に交換されることは好ましいことであるとし、しかしそれによって会議が混乱し感情的な対立や意見の相違による組織の分裂に至るような事態を避けるために、小数意見を含めて、すべての意見を整理し、組織として一つの意思を形成してゆく過程を重視して細部にわたって配慮されている。

例えば、基本の三原則としてある、(1)「定足数遵守の原則」会議を開き議決を行う際に最低必要とする出席者数を定め、その数に満たなければ会合を開き採決することはできない、(2)「多数決の原則」特に規定する場合を除き出席者数の過半数の賛成が必要である。重要な議案では出席者の三分の二の賛成を必要とする旨、特別規定を設ける場合がある、(3)「少数意見尊重の原則」ある意見に複数の賛同者がつけば正式な議題としなければならない。
また、「公平」と「平等」を基本精神として、組織全体の中における構成員が持つ「4つの権利」の均衡の上に成立しているのも、特徴であると言える。
(1)「多数者の権利」表決においては、多数の者の意見を優先する
(2)「少数者の権利」少数意見を尊重し、黙殺しない
(3)「個人の権利」個人への名指し攻撃、特定人物のプライバシーに関する件には触れてはならない
(4)「不在者の権利」やむをえず出席できない者にも議決権を与える
このように、ロバート議事法が定める減速や精神は、現在の広く一般的会議に採用されている手法の原点となっている。

このような議事法が求められた背景には、米国の深刻な対立の歴史がある。そもそも多民族国家である米国では、議会で何かを決定しようとしても、生活習慣そのものが異なる人たちの会議になるため、意見が百出し、正常な議事運営ができない状態にあった。またその対立が南北戦争を代表とする内戦にまで拡大するという危機的な状況にも至っていた。そこで、原案に対する修正案が出たときの動議のやり方や会議そのもののテクニックを規定したのがロバート議事法で、優れた会議手法としてライオンズクラブ、青年会議所、商工会議所などを始めとする国際的な団体に競って採用され現在に至っている。

ロバート議事法は、団体や集団の会議を進行させるには非常に有効な手法ではあるが、「合意形成」という側面から見ると参加者全体が納得するに十分なコンセンサスが得られるのかという点において疑問が残る。限られた会議時間の中で異議も含め相当数の議題に結論を求めようとしたり、普段から一定のコミュニケーションが存在しない関係性の中で多数決による採決ありきで説得していく環境では、全体のコンセンサスを得るということは大変困難であるはずだ。

「寄り合いとコミュニティ」につづきます。

閲覧数934 カテゴリ出版 コメント4 投稿日時2013/07/29 14:33
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コメント(4)
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  • 2013/07/30 09:36
    jamjamさん
    国会の審議を見ていると、少数意見は全く尊重されていませんね。「良識の府」と言われた参議院も同じです。
    今回の参院選で自民が大勝しましたが、ますます多数派の横暴が加速しそうです。
    これは国民が選んだ道だから仕方ないとも言えますが、そもそも日本人には「少数意見の尊重」というのは受け入れにくいのかもしれません。というより、まだ日本では民主主義が定着していないと言った方がいいと思います。
    次項有
  • 2013/07/30 09:45
    > jamjamさん

    ぼくの考えていることは逆で、明治以降導入された西洋的合意形成手法こそが少数意見の反映に適していなくて、それ以前に日本の地域で成立していた「寄り合い」によるコンセンサスづくりのアプローチの方が、少数の意見だけでなくその人たちも除外しないという意味では、よほど民主主義の完成度は高かったのではないかと思っています。
    次項有
  • 2013/07/30 14:14
    jamjamさん
    > こたつねこさん

    ちょっと舌足らずだったかなぁ。 (笑)

    確かに、かつての日本にはこたつ先生がおっしゃる「寄り合い」による合意形成が存在した(江戸時代の大阪では完全な地方自治が行われていた)し、国政においても、明治時代の政治家たちは、模倣ではあったにせよ西洋の民主主義を理想として取り入れようとした。彼らは優秀だったし、よく勉強もしたと思います。しかし日清・日露の戦勝によって軍部が台頭し、シビリアンコントロールが利かなくなって第二次世界大戦へ突入し、無残な結果に終わったわけです。
    幸いにして、敗戦後の日本はアメリカの占領下に置かれ、民主国家の道を歩むことになりましたが、政治家たちの質は、明治の政治家に比べると全体的にみて格段に落ちているように思います。
    「捩れ国会」を、さも諸悪の根源のように言う政党や、一院制を標榜する政治家も出てきています。何を考え何を言うのも、民主的な社会として容認すべきですが、何でも数で押し通そうとする姿勢は、もはや民主社会ではないと思うのです。
    僕の見る限り、アメリカでは大統領と議会の捩れや上下両院の捩れは、日本ほど問題にならないでしょう。

    一般民衆も、戦後は間違った個人主義的な社会になってしまい、「寄り合い」によるコンセンサスづくりという社会も、全国的に見れば崩壊した感があります。
    僕が『まだ日本では民主主義が定着していない』と言ったのは国政に関してで、身近なことは自分たちで決めようとするが、遠い存在(と思っている)である国政に関しては、日本人特有の「ことなかれ主義」が頭をもたげ、関心が薄くなるのです。
    選挙の結果がどうであっても、国民の総意だからそれを認めないわけにはいきませんが、52%台という投票率の低さは、正当に民意を反映しているとは言えないと思うのです。その意味において、『まだ日本では民主主義が定着していない』と言いたかったわけです。
    次項有
  • 2013/07/30 15:31
    > jamjamさん

    ありがとうございます。
    大変良い勉強になりました。
    ほんとその通りです。
    政治や社会の経年疲労、行き過ぎた個人主義、経済至上主義と社会の歪み...いろんな問題を解決しなくてはなりません。
    コミュニティソリューションでいこう!
    なんとか頑張り続けていきたいものです。
    次項有
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