朝のブログに書いたとおり、山科の駅から西へ歩きました。 山科駅のすぐ南を走っている旧東海道を西へしばらく歩き、南に折れてに「渋谷(しぶたに)街道」入りました。渋谷街道は、東海道ができるまで京の都と山科を結ぶ唯一の交通路であった古道です。 この辺りは、今では市街地になっていて旧街道らしい風景はありません。
しばらく歩いていたら、右手に「花山法皇 元慶寺(がんけいじ)」と書かれた標柱が立っていました。 奥へ入っていくと、立派な山門がありました。Wikipedia で調べてみると、『寛和2年(986年)、花山天皇がこの寺で藤原兼家、道兼父子の策略により出家させられ、兼家の外孫である懐仁親王(一条天皇)が帝位についた(寛和の変)。花山法皇の宸影を安置する寺で花山寺とも呼ばれ、大鏡では花山寺と記述されている。』と出ていました。 山に近づくにつれて道はだんだん細くなりますが、交通量が多くてかなり危険な道路です。 「大石道」と書かれた標識のある交差点がありました。内蔵助が隠れ住んでいたのはこの辺りでしょうか。 この辺りから上り坂になり、上がっていくと山科盆地が一望できました。 更に上っていくと、突然国道1号に出ました。ここからクルマが入ってくるんですね。交通量の多いわけが解りました。 国道の脇の歩道をしばらく歩くとトンネルがありました。歩行者は通れないので迂回路があります。と言うより、これが元々の街道なのです。 少し行くと、小さな古いトンネルがありました。 入口の上の扁額には「花山洞」と、右横額で書かれています。内部はコンクリートになっていますが、元々は入口と同じ煉瓦積みだったはずで、後になってコンクリートで補強されたものでしょう(最後の写真に示した黄色い線の内側がコンクリート)。 トンネルを出て少し行ったところで渋谷街道とお別れし、清閑寺の方へ上りました。 このあとは、墓参りのあとにときどき歩く山道に入り、清水山→将軍塚→知恩院→円山公園→祇園→三条へと歩きました。 歩数計を見ると16,000歩台でしたが、雨が近づいているためか湿度が高くて、歩いていると大分汗をかきました。 |