昨日は「史跡巡りハイキングの会」の例会で、京都の街を歩いてきた。今回のテーマは「新島八重ゆかりの地」で、参加者は10名であった。 皮きりは新島襄が設立した同志社大学で、先ずは腹ごしらえに寒梅館にある学生食堂へ。8種類ほどあるランチメニューから僕が選んだのはハンバーグランチ。値段は600円で、学食にしては高めだが、それだけの値打ちがあった。
昼食後、すぐに同志社女子大へ行くのかと思っていたら、案に相違して同志社の北側にある相国寺へ入った。ここには僕たちがよく知るお二人のお墓があるという。一人は参加者10人のうち7人が仕えた大阪市長 大島靖氏で、もう一人は京都大学名誉教授(土木工学)であった米谷栄二氏である。(左は大島氏の墓標裏面を読む面々、右は先輩の墓前に線香を手向ける小林昭一京大名誉教授) 墓地の中でバッタのようなものを見つけた。この大きさと形からして、クツワムシかと思われるが、この時期にまだ生きているというのは驚きである。 相国寺(しょうこくじ)は臨済宗相国寺派の大本山で、広大な敷地を持つ巨殺である。その中心的存在である「法堂」はさすがに大きな建物だが、前に赤松の林があって全貌をカメラで捉えることができないのは残念である。 一方、境内の紅葉と黄葉は、まだ十分美しさを保っていた。
相国寺を出て同志社女子大に入る。八重はここで教鞭をとった。(写真は正面にある「栄光館」) 学内では、折しも「ジェームズ館」で企画展「新島八重と同志社女学校」が開催されていて、見学することができた。 展示物は撮影禁止になっていたのでここに載せることはできないが、展示室でいただいた冊子に慶されている写真を見ると、八重さんはちょっと(?)太めの人だったようである。
同志社女子大を出て今出川通を渡り、、御所がある京都御苑を散策した。ここでも紅葉と黄葉が美しかった。
次は京都御苑の西にある新島旧邸へ。ここは一般公開されていたが、予約をしていなったので外部からしか見られなかった。 建物は思ったより質素な建築で、洋館だが屋根は和瓦を使っているという風変わりな建築である。
写真の数が多くなったので一先ずここで終わり、ここから後は次回のアルバムに譲ることにする。 |