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2015年02月08日(日) 

昨日、またまた京街道を歩きました。

前々回と前回は八幡市内と枚方市内を歩きましたが、昨日は京都市内の淀の辺りです。

空はよく晴れていますが、天気は下り坂になるという予報があったので、9時前に家を出ました。このときの気温は3.9℃で、かなり寒く感じました。

先ず、わが家から坂を下って八幡の旧市街へ入り、東高野街道を北へ歩きました。

この街道沿いには「左 京街道」とか「右 奈良街道」と彫られた古い道標があったり、ところどころに古い町家が残ってたりして、旧街道の風情があります。

  

 

石清水八幡宮の横を通って少し行くと、京阪電車の八幡市駅前へ出ます。

駅前のコンビニでブランチに食べるおにぎりと飲み物を買い、駅の東側の踏切を渡って木津川に架かる御幸橋に向かいました。この道は、毎年「背割堤」の桜を観に行くときに通る道ですが、橋詰では取り付け道路の改良工事が行われていました。花見の時期に間に合うといいのですが。

  

 

橋の上から北の方角に愛宕山が霞んで見えますが、さすがに京都市内でいちばん高い山ですから、頂上付近は雪化粧をしています。

 

木津川を渡ると背割堤を挟んで宇治川(河川法上は淀川)に架かる橋があり、これも御幸橋という名前です。

ここから先へ行くのは初めてです。

宇治川を渡って右岸の堤防を上流に向かって歩きます。「通行禁止」と書かれたバリケードがありますが、これは車だけです。

少し歩いて堤防下に下りて農道を歩き、京阪電車の高架の辺りで広い道路に出ます。

道路を歩いていると、右奥の方に森が見えました。どうやら神社があるようです。

  

 

この道路の左側では大きな工事をしています。宅地開発のようです。

先へ進むと道が分かれていますが、右側の古い道を歩くことにします。たぶんこれが京街道らしいと思ったからです。

 

 

ここからちょっと寄り道をして、先ほど見た森を確かめに行きました。

前まで行くと「美豆城跡」と彫られた石碑が立っていました。何と読むのか、横の説明板を見ても振り仮名が打ってないので分かりませんが、戦国時代には小さな城がこの西側にあったようです。

鳥居の前の石碑には「凉森神社」と彫られていて、これも読み方が分からなかったのですが、本殿前の由緒書を読んで「すずのもり」と読むことが分かりました。村の氏神さんなんでしょう、小さいけれど手入れが行き届いたお宮でした。

  

 

ここから元の道に戻り、北東へ向かって歩きましたが、以後のことは後篇で述べることにします。


閲覧数434 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2015/02/08 08:56
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