僕が樟葉駅前のモールへ歩いて買い物に行くときに、途中で古い集落を通ります。
調べてみると、ここは明治の初めごろまでは交野(かたの)郡楠葉村の「南組」といわれた地区で、楠葉村は隣接する村と合併するなどして北河内郡樟葉村となり、その後枚方町などと合併して現在の枚方市楠葉南という町名になっています。 なお、楠葉と樟葉はどちらも「くずは」と読み、同じ地域を指します。楠と樟はクスノキのことですから、当てた漢字が違うだけです。
この集落を歩いていると、至るところで蔵を持った大きな屋敷に出合います。
これらの多くは、母屋が入母屋造りの伝統的な日本建築の様式で造られています。中には長屋門を持った屋敷もあり、屋根には煙出しの小屋根を付けた古風な造りのものもあります。 そして驚くべきことに、建物のほとんどが真新しく、古びたものはほとんどありません。庭もよく手入れされています。 これらの所有者はかつての豪農の末裔だと思われますが、狭い地域にそうした人がこれだけ多いということは、この村が相当裕福であったのでしょう。もちろん、地主と小作人との間には大きな格差はあったと思いますが、全体的に裕福な村では、ひどい搾取はなかったのではないかとも思われます。 そして、こうした建物が旧来の様式で新しく建て替えられていることに驚きを感じます。現代建築の何倍ものお金がかかると思いますが、それができるのは、農業をやめても土地を売ったり借家を建てたりして相当の収入が得られるからでしょう。 しかし、こうした景観が維持されていることは、日本文化を継承する上からも嬉しいことだと言わねばなりません。
村の一角に消防団の建物がありました。都会の真ん中に消防団というのは、僕らの感覚では不思議な気もしますが、古い伝統が衰退することなく今も活動していることは、この建物の2階の窓を見れば分かります。
余談になりますが、この集落で見た面白い風景を少しばかり挙げておきます。
鉄筋コンクリートの本体に木造の屋根を載せたお寺の本堂
日本建築の保育所(元は何に使われていた建物か?)
幼稚園の園庭でミニミニ・サッカーをしている園児たち (ユニホームを裏返しに着ている子が1人いた。) |