2006年11月20日 ソーシャルネットワーキング・サービスの特徴のひとつは、自分の知人や友人を直接招いて仲間に入れる「招待制」にある。嫌いな人や知らない相手を招くことはないので、自分の認知ネットワーク(見える人脈)の中でも良い関係の人物が参加することとなる。「友達の友達は安心できる(かも)」というおぼろげな信頼感が、SNSの中のコミュニケーションを支えている。 もちろん信頼できない中のコミュニケーションもありえないわけではない。インターネットの中だけでなく、現実社会も随分と殺伐としてきつつあるが、いつも緊張して周囲を警戒していなくてはならない環境は、やはり疲れる。SNSに安心安全な「ほっとする場」を求めるのは当然の流れと言えるだろう。 しかし、友達の友達も随分と繋がりが遠くなると、本当に安心できるのかは解らない。どこかで無責任なリンクが混じっていたりすると、そこからの繋がりは信用できないものになっているかも知れない。実際にはそうでなくても、「危ないかも」という潜入観念があると、さまざまな活動に影響が出てくる。大きな規模のSNSなら、端から覚悟して利用もするが、地域SNSでは差別化のひとつとして、信頼できる関係性の確保というテーマは大きな課題となる。 そこでひょこむは「後見制」という考え方を採用して、この問題を解決しようとしている。これまでのSNSシステムでは、参加してからサイト内で繋がる関係と紹介者との関係は等価である。その間には、「どちらがいつリクエストしたか」と「接続の有無」というふたつの要素しか与えられていない。どれも一定の期間が過ぎれば自由に切断できるという、非常に便利な(?)仕組みになっている。 ジェームズ・コールマンは著書の中で「学歴や技能は個人に宿るが、ソーシャルキャピタルは関係に宿る」(1990)と述べ、その「つながり」の持つ重要性を説いたが、これまでのSNSは運用設計面でその知見が活かされていなかった。つまり「招待者は参加者にとって特別の存在である」べきなのである。 ひょこむでは、最初は招待者を後見として、サイト内のルールや利用方法、システムに関する一次サポートを行ってもらうようにお願いしている。またトラブルが発生した際には、当事者だけでなくお互いの後見人同士も加わり紛争にならないように穏やかな解決を目指す。「保護者」というには重すぎて「友人」というと軽すぎる。実際にその役割が担えるかどうかは別として、互いの関係性を認識しサイト内での行動を見守ることにより、互いの紐帯の強化やネットワークの拡大など、さまざまな副次的効果も期待できるのである。 |