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2015年04月21日(火) 
2009年04月28日

 それまで「まちのパソコン屋さん」であった私の意識を、電子ネットワークの世界へ引きずり込んだのは、大分県がニューメディアの先駆けとして平松県知事自ら陣頭指揮に立って開局した「COARA」と、ほぼ同時期に設立を目指した「はりまタウンネット(当時姫路タウンネット)」でした。

 姫路タウンネットは、1986年秋から設立準備に向けての活動を行い、1987年4月には社団法人姫路青年会議所高度情報化委員会(家永周一委員長:現5つつの箱代表取締役)の手によって設立母体となる「姫路タウンネット設立準備会」が開催されることになりました。

 この準備会は、姫路青年会議所の呼びかけで、姫路市経済局、姫路商工会議所、NTT(当時電信電話公社)姫路支店が幹事として名を連ねるもので、アスキーネットやPCVANなどの大手パソコン通信業者が実験運用を始める中、全国的にも大変先進的な試みでした。

 同年7月15日、富士通株式会社姫路支店の協力(古泉さんという方がいらっしゃって、言葉ではいい表せないような支援を頂戴しました)を得て、ホストコンピュータをNTT姫路支店の社屋内に設置し、正式に開局することができました。この開局にこぎ着けるまでの間、家永委員長が個人的にパイロットシステムとなる実験局を自宅に設置して、5月5日から約2ヶ月の間、試験的に運用をしていました。

 この実験局の持つ意味合いは大きく、マスコミ各社で記事(特に神戸新聞の記事の扱いは友好的でありがたかったですね)として取り上げられたおかげで、それを読んだ多くの一般の方々が実験に参加されることとなりました。実はこの実験局時代の参加者が、後のはりまタウンネットの中心的なメンバーとしてネットワークを運営してくれる核となり、また本システムを稼働する際に、オープニング当日まで3日間も徹夜して作業をしてくれた献身的な青年たち等(現株式会社キャットシステム代表取締役・藤田祐介氏-こたつねこの名付け親-などもそのひとりだった)を生んでいったのでした。

 これはいかに新しいものを立ち上げようとする時に、実験局という仕掛けが連帯感を生んでいったか、そしてそれが思わぬ効果を発揮したかという事例であると思います。

 さて私も主宰者のひとりとして、何時間か無事に動いていても突然モデムが応答しなくなってホストコンピュータに接続できなくなるという不安定なシステムを抱えて、設置場所のNTT姫路支店の警戒厳重なビルに夜駆け朝駆けをする日々をしばらく続けました。この原因は正しく切断処理が行われない場合に、モデムが次の回線を開けなかったから起こったトラブル(今なら信じられないくらい初歩的な定ですが、当時はこんなことすらも対応ができていなかったのです) で、確か前述の藤田氏のおかげで3週間くらいで再度起こることはなくなりましたが、このように「午前2時に電話で叩き起こされて着の身着のままNTTまでガラガラの深夜の国道をひた走る」というような苦労も、パソコン通信というネットワークでどんどんと拡がる友人達との交流で、すぐに笑い話となってしまうような毎日でした。

 またこの時期、後にJCNETとしてスタートし、全国の青年経済人8000名近くが集うほどになっている社団法人日本青年会議所のパソコン通信の実験システムが、姫路タウンネットの中で動いていたという話をはじめ、多くの伝説的な話題ももう語り継ぐ人々もだんだん少なくなってきています。

閲覧数237 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/04/21 16:52
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