2009年04月28日(火) MMSストーリー・第2話 「西播磨情報化へのおもい」 11月19日の昼下がり、NTT姫路支店の営業部やマルチメディア関連部署の拠点である西別館には、まず地元のメンバーが早々に集まりました。政井氏が新聞記事を見た日は、龍野商工会議所で初めての「情報化フェア」が開催され、講師兼相談員として参加していた私が講演依頼を知ったのは、事務所に入ったNTTからの電話ではなく、フェア会場で受け取った電子メールでした。このあたりがいかにも情報化時代らしい流れでして、その会場から私は講演依頼の了解と、数名の仲間達に一緒に神戸へいかないかという誘いを、すでに行っていました。 それ以降の段取りは、NTT姫路支店営業部の北山泰三さんが、いつものようにすべてやってくれました。北山さんは、年齢相応には絶対見えないほど落ち着きのある、容貌魁偉な青年で、青野営業部長の懐刀として、まさに熟慮断行、素晴らしい才能と知識を持った人です。彼と青野部長がいなければ、きっと「はりまインターネット研究会」設立の構想も、早期に挫折してしまっていたに違いありません。この前にも後にも、私は多くの人々に出会い、助けられ、引き上げられて生きています。日々、自分の幸運にひたすら感謝するばかりです。 広い会議室には、到着したばかりの政井さんの上司である、兵庫県知事公室審議員(情報通信担当)付副課長である榎本輝彦さんと政井さんを真ん中に、進行役の北山さんやNTT姫路支店の方々、神戸支店の幸永敏尚部長、そして1987年、姫路を中心とした播磨地域で、全国でも先駆的な時期にパソコン通信による地域情報化システム「姫路(はりま)タウンネット」(こたつねこの自叙伝 http://www.memenet.or.jp/kotatsu を参照下さい)を立ち上げた立て役者である、株式会社5つつの箱の家永周一社長とわたしが、それを取り囲むようにして座りました。 「県庁の職員」という印象は、既に電話でやりとりをした政井さんの雰囲気から、従来のお役人さんという固定観念は吹っ切れていました。今回の狙いや背景を説明される榎本さんからも、職務だけでなく情熱で西播磨の情報化を考えて頂いているのが、肌で感じることができました。 説明をうかがい、家永さんと私から、キャプテンシステムや姫路タウンネットを起点とし、コミュニティFM、CATVなどを含めた過去の西播磨の情報化の推移と問題点などを、具体的に説明させて頂きましたが、これは先刻承知のようで、また「はりまインターネット研究会」設立に向けて、私達の目指す目的についても、明快にご理解頂いていました。 「西播磨の情報化推進の必要性」「情報化のためのネックと障壁」「産官学民によるネットワーク創造の重要性」など、地元の自治体や公共団体では、ほんのごく一部の方々にしか理解してもらえなかった(聞く耳ももたなかった)ことが、立て板に水を流すがごとく、そのまましみ込んでいくようでした。 話していても、こんな時は一生懸命にもなるし、本当に楽しいものです。外から姫路や播磨を見る視点がなければ、地域の危機感というのも理解しがたいのかも知れません。本来はその素養や環境にあり、また実績を残してこられた方々の意識が低いところに、残念ながら播磨の危機が始まっているのかもしれません。 |