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2015年07月30日(木) 

先日のアササン(早朝散歩)で、このときに初めて歩いた区間で見た風景です。

 

 

上の写真は初めて渡った歩道橋の上ですが、転落防止用の側壁がひどく錆びていて、路面には雑草も生えています。2年前に下から見た(右の写真)ときは《手入れが悪いなぁ》と思っただけでしたが、上へ上がってみると、その荒廃ぶりのすごさに驚きました。

この歩道橋は南詰の一部が小学校の通用門に直結しているのですが、この学校は5年前に廃校になり、利用者の大半を占めていた小学校の児童が通らなくなったので、管理者の市も放ったらかしにしているのでしょう。

 

廃校後まだ5年しか経っていないので建物は健在ですが、校内の樹木は伸び放題で、建物を隠すほどになっています。人気(ひとけ)のない学校は廃虚のように見えました。

 

 

この学校がある京都府八幡市の男山〇〇という地名が付く地域は、郊外の住宅開発が最盛期だった1970年代に、当時の日本住宅公団(現在の都市再生機構)が、男山団地の建設とその周辺の区画整理事業を施工したところです。

1980年ごろには団地もほぼ完成し、周辺の住宅地にも戸建て住宅が建ち並ぶようになって、この地域の人口は急増しました。僕がこの地に移ってきたのもちょうどそのころです。

そうした人口増に対応するために小中学校も建設され、1980年時点で小学校は4校を数えるに至りました。(この八幡第四小学校が開校したのは1977年です。)

 

その後20年経ち、30年経つと、成人した子供たちは次々に家を出て行き、増え続けてきた人口は減少に転じました。残った親たちは高齢化し、若年層が少ないから子供を持つ世帯が減り始めました。つまり「少子高齢化」の波がこの地域にも押し寄せてきたのです。 

この傾向は10年ほど前から顕著になり、学齢期の子供が激減し、学校では空き教室が目立つようになりました。そして、ついに学校の統合が行われるようになったのです。

2008年には、娘が通っていた第三小学校が、後に出来た第五小学校を吸収する形で統合して「さくら小学校」になり、2010年には、第四小学校が第二小学校に吸収・統合されて「くすのき小学校」になりました。4つあった小学校のうち、第五と第四の2校が廃校になったのです。

 

廃校になった学校をどうするか、それは市町村にとっては大きな問題です。学校の建物は他の用途には使い難い構造であるし、「さら地」にするにも取り壊しに多額の費用がかかります。かと言ってそのまま放っておくと治安上よくないし、景観的にもコミュニティ活動上も、町としての価値が下がります。

この2つの廃校跡のうち、第五小学校の跡は福祉施設として再利用されていますが、それは敷地の一部に過ぎません。小学校の敷地は20,000㎡前後もあり、建物の床面積も相当大きいので、公共施設として転用するには限界があります。なお、大阪市や京都市の都心部では公共施設として転用している例がありますが、大都市と衛星都市とでは事情が大きく異なるので参考にはならないと思います。

 

もちろん、市もいろいろ考えているとは思いますが、一つ考えられるのは、敷地の半分を占める校庭(さら地に等しい)を住宅地として民間に売却し、その売上金の一部を旧校舎の撤去費用に充て、更地にして売却するという方法です。

一方で、この地区の核である男山団地は築後40年以上経ち、いわゆる「団地サイズ」で不人気のアパートを、現代のニーズに合った「もう少し広くて高級感のある」住宅に建て替えることも検討されているようですが、この場合は今より広い敷地が必要となるので、学校跡地を男山団地の一部として都市再生機構に売り渡すことも考えていいと思います。

これらは素人の思い付きで、もう少し掘り下げて検討する必要があるでしょう。

 

いずれにしても、このままの状態を続けていると学校跡地は本当の「廃虚」になり、住宅地としての魅力が低下し、人口減少に拍車がかかることになります。(八幡市の人口は1993年の76,500人がピークで、その後微減の状態が続いていて、現在では73,000人を切るまでになっています。)

廃校になって5年経つ第四小学校を見ていて、《市は、危機感を持って真剣に考えるべき時期に来ている》と感じたことでした。

 

都市計画というものは難しいもので、この男山地域が開発された時期は「いけいけドンドン」の時代で、人口増は鈍化しても減少することはないと思っていたし、現在の「少子高齢化」はその言葉すらなかったのです。

そのころの都市計画は土木工学や建築学の分野として捉えられていて、社会学や経済学からのアプローチがほとんどないと言ってよい状態でしたから、社会の変化を予測出来なかったということですが、その社会学の分野でも「少子高齢化」がこれほど早くやって来ようとは思われていなかったでしょう。

今後、もっと大規模な千里ニュータウンや泉北ニュータウンを含めて、大規模住宅団地の再生が行われることになると思われますが、過去の過ちを教訓として、よりよい「まちづくり」を目指してほしいものです。


閲覧数442 カテゴリ主張・論評 コメント4 投稿日時2015/07/30 10:09
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