長崎県対馬には行ったことがあります。ここではそのような会話と共に守らなければならないことをきちんとしているように思われました。
それは春一番という言葉はここの漁師さんが春の風によって、大勢遭難したことがあり、それをいさめる碑がが立っていました。
春一番のル-ツがここにあることも知りました。
日本を代表する民俗学者のひとりである宮本常一の著書「忘れられた日本人」(岩波文庫,1984)は、長崎県対馬・伊奈の村で体験した村の寄りあいの一節から始まっている。 伊奈滞在の二日目の早朝、ホラ貝の鳴る音で目覚めた宮本は、それが村の寄りあいの合図であることを知る。寄りあい場所となっているお宮の森には朝早くから多くの村人が集まり、昼過ぎになってもまだ話し合いを続けていた。村の郷士である区長の家を訪ねた宮本は、応対した老人の息子が区長であり、百姓の代表である総代とともに、進行役として寄りあいに出ていると聞く。村の決まり事は、古くから区長と総代が主宰する寄りあいで決定されていた。 老人の話で、古くから伝えられている区有文書が入った帳箱あり、その鍵を区長が保管していることがわかる。総代立ち会いの下でしか開けられないので、老人が寄りあいの席から二人を呼んできてくれて、一部を書き写すことができた。翌朝、残った作業をするために一時借用を老人に頼むと息子に取り継いでくれた。息子はまだ寄りあいの席にいて、貸すとなると寄りあいにかけて皆の意見を聞かなければならないからと、借用したい分だけを持って会場に戻った。 しかし息子は、昼になっても午後三時を過ぎても戻ってこない。その日の内に次の村に移動しなくてはならない宮本はさすがにジリジリして、どうなっているのか確認するために老人と寄りあいの場に行ってみることにした。お宮の森では、板間に二十人くらいが座っていて、外の樹の下に三人五人とかたまってうずくまったまま話し合っていた。まるで雑談をしているかのように見えたがそうではなく、村の取り決めを行う際には、みんな納得のいくまで何日でも話し合うのが伝統的なしきたりとなっていた。 村人は、用事があったり話し疲れたら帰宅することもあるが、区長と総代は聞き役・まとめ役としてずっとその場にいなくてはならない。結論が出るまで何日も、夜も昼もなくみなが納得いくまで話し合うのである。古文書の話題も朝早く出たが、いろいろ話しをしているうちに他の話題へと変わった。みなが思い思いの発言をして、話しが盛り上がったかとおもうと別の話題に移っている。こんなことを繰り返しながら、それぞれの理解を深めていくのである。西洋的議事法に慣れた人には、とても耐えられないようないいかげんさに見えることだろう。 そうしているうちに一人の老人がかなり大きな声で「見ればこの人はわるい人でもなさそうだし、話しを決めようではないか」と発言し、外で話していた人たちが宮本の顔を確認するために窓のところに寄ってきた。宮本が古文書の内容を説明すると、またその中身についてひとしきり話しが盛り上がる。一時間程あって前区長である案内してくれた老人が「どうであろう、せっかくだから貸してあげては…」と一同に図ると「あんたがそう言うのなら、もう誰も異存はなかろう」と一人が答え、「私が責任を追いますから」という区長の言葉で借用ができることとなった。 このような村の寄りあいは、西日本では記録に残っているだけで200年以上前からあったことがわかっていて、おそらく東日本においても珍しくはなかったのではないかと考えられている。なんとものんびりした仕組みであるが、活性化した地域SNSのコミュニティの議論展開をみていると、この寄りあいの伝統的な香りを感じずにはいられない。 「日本人はディベート慣れしていない」と言われるが、もともと対立する意見を議論によって深め、争点を明確化して優劣をつけるという慣習はもっておらず、村の寄りあいのようにして、落としどころを探ってできるだけ穏便に全体が納得するという方法でコンセンサスを図ってきた。村と地域SNSという集合体は、「地域への愛着」「相互の信頼」「文化の共有」「ほどよい閉鎖性」「掟の存在」「リーダーの役割」「場への貢献」などの点において非常によく似ている。 地域SNSというバーチャル空間の中には、「コミュニティ」という活動や思想、趣味や課題などを共有する場を設けることができる。そこでは、立場も経験も年齢も性別も関係なく限られたメンバーが話題を持ちよってコミュニティ全体で意見を交換する。多くの場合、発言もコメントもメンバーであれば自由で、区別も差別も存在しない。まとめ役としての区長や総代はいるが、身分の違いもなく戸主が参加する寄りあいと大変近い。 「(SNSの)コミュニティの議論は、なかなか結論が出ないのでe-デモクラシーには向かない」という声があるが、果たしてそうなのだろうか。盛り上がらない電子掲示板や電子会議室の場合、強力なリーダーと少数の論客が激しい議論を重ねて短時間に結論を導き出す。テーマに興味のない者を除き、興味はあっても議論が上手でないものを遠ざけて、急いで結論のみを追い求めることは、合意形成にはほど遠い。コンセンサスなき結論がe-デモクラシーの成果であるとは決して言えない。 活性化した地域SNSの元気なコミュニティでは、さまざまな参加者がリアルにバーチャルに、普段から気軽に交流しあいコミュニケーションを醸成している。その中に誰かの手によって問題意識の共有度の高いテーマが投げかけられると、場は一気に盛り上がる。しかし、数日もするとその話題に求心力は薄れ、また次の新しいテーマが主役の座を取って代わる。そしてまた、関連するテーマが提起されると、前の議論をベースとした話し合いがさらに一層熱く交わされることになり、全体が納得できる結果として成果となるアクションが導かれている。このように、区長・総代の役割をコミュニティのオーナーが、案内してくれた老人の役割を提案者が、根気強く納得するまで語り合う村人(戸主)たちの役目をコミュニティ参加者が担っている。 村の寄りあいは、決められた人たちが何日間も泊まり込みで話し合いをしないと成立しなかったが、時空を越えるコミュニケーションツールである地域SNSは、寄りあい参加者の負担を大幅に軽減できるとともに、普段からのネットによる「井戸端会議」の効果や、リアルの距離感の近さを活かした現実の意見交換などによって、より効率的(?)・効果的にコンセンサスを形成することが可能である。今後、地域SNSが、Web2.0時代の寄りあい文化の仕組みを確立していくことを期待している。 「いいかげんはよいかげん」 「説得ではなく納得するまで」 「Web2.0時代の寄りあい処」 |