ウィーンは葛飾の友好都市で、シンフォニーヒルズにはモーツァルトの銅像が建っています。
http://www.city.katsushika.lg.jp/kurashi/1000058/10…03368.html
日本から帰ってようやく時差ボケも収まったころ、夫の出張についてウィーンに行くことになった。仕事は1日で終わるので、木曜日夕方から日曜日午後までゆっくり観光できる、と夫は嬉しそう。 友達に話したら「まあ、ウィーンは私が行きたい憧れの街の一つよ」と羨ましがられたが、実は私としてはあまり気が進まなかった。 第一の理由は体調で、時差ボケはほぼ消えたもののまだ疲れがとれていない。ちょっと自律神経失調気味なのは、日本の梅雨並みの天気が続いたせいか。 第二の理由は、これで三度目になるウィーンに私はあまり、いや、まったく、いい思い出をもっていないからである。 今から13年前に私の日本の親戚を連れて行き、ちょうど10年前に夫のアメリカ人の親戚を案内したが、どちらも旅の道連れとしては「最低」「最悪」だった。 歴史や文化はどうでもよくて、ショッピングにはやたら熱心だが何でも「高い」と文句ばかり言い、予算が足りないというので土産物までこちらが買って持たせた彼らとは、二度と一緒に旅したくない。 おまけにアメリカ人の爺さんは腎臓結石の痛みで病院に運ばれ、私たちはウィーンとザルツブルクの病院回りを経験した。 それで今回のウィーン行きは気乗り薄だったのだが、さらに私にとっていやなことに、行き先が遠いのでチューリッヒから航空便を使ったところそれが朝の7時15分出発とあって、なんと3時半に起床せねばならなかった。 こんなことなら、まだ時差ボケで朝3時に目を覚ましている頃にウィーンに行ってほしかった。 だけどいろいろ手配して楽しみにしているらしい連れ合いに、「あんた一人で行けば」ともいえない。 というわけで3度目のウィーン。 ところがこれが3度目の正直となって、私は初めて人のことを気にせず、イライラ・プリプリもせずに、自分のペースでゆっくりとウィーンを散策することができた。そして「憧れの街」という友人の表現も大げさではないと思った。 そういう意味ではウィーンはいわば今回が初めてのようなものなので、しっかりお上りさんの観光をしようと思い、金曜日午前には地下鉄を使ってプラーター公園へ。 はい、そうです、ここの大観覧車は映画「第三の男」で超有名ですね。 オーストリア人はこの映画を好まない。敗戦直後の最も暗い時期のウィーンを舞台に戦勝国が作った映画だから、それはよく分かる。 とはいえ、アメリカ人などがウィーンに来ると必ず「第三の男」の話をするので、観光業振興のために最近では「第三の男博物館」なんてものまでできている。 博物館には興味ないが、お上りさんなんだからプラーター公園で観覧車に乗ろうと決めた。 映画で見たのとはかなり違ってキャビン(ゴンドラ)はでっかく、デブの欧米人でも10人余りを収容できる。どうも雰囲気に欠ける感じ。と思ったら、別の方角にもっと小型のがあった。映画に使われたのはそっちの方かもしれない。 観覧車から見るウィーンの景色は悪くなかったが、園内のいろんな乗り物・アトラクションの施設は、上から見ると屋根が錆びていたり乱雑にパイプが延びていたりで幻滅。 ま、いいや、これで名所の一つはカバーしたし、と遊園地を去ろうとしたとき亭主が「あ、ロバート・シュトルツの碑だ」というので見ると、何か文字を刻んだ石碑が立っている。 だれなの、それ?と尋ねると、オーストリアの有名な詩人だそうで、碑に近づいたら「プラーター公園の樹々に花はまた咲き」とあった。 あら、これ聞いたことあるわ、どんな曲だっけ、というと、音痴の夫が口ずさんでくれたが、有名な曲なのでへたくそでもすぐ分かった。日本語の題は「プラーター公園の春」となっている。 ウチにこの歌のレコード盤があるわね、というと、多分40年余り前にそれを買った当人は「そうか?」だって。 わが家のレコードでこれを歌っているのはイタリア系アメリカ人のソプラノ歌手アンナ・モッフォだが、Youtubeではフィガロ役でならしたヘルマン・プライが真っ先に出てくる。 同じレコードに「ウィーン、ウィーン、君だけがいつも私の夢の街」という歌詞で知られる「ウィーンわが夢の街」という曲も入っていて、こちらの歌手はフリッツ・ヴンダーリッヒ。 彼は私の夫と同郷で(憎たらしいメッテルニヒも!)、悲しいかな、事故のため30代で世を去った。それだけにある年代以上のドイツ人は、哀惜の念を込めてヴンダーリッヒの歌を語る。確かにすばらしいテノールだ。 プラーター公園のみでなく、ウィーンにふんだんにある公園では樹々にいろんな花が咲いていたが、この時節、ヨーロッパの風趣という点ではやはり菩提樹だろう。 ウィーンが「わが夢の街」と形容されるのもむべなるかな、と実感したのは、有名なシェーンブルン宮殿で、その背後に伸びた広大な庭園の後ろの丘に立つグロリエッテを目にした時だ。 かつて西は大西洋沿岸から東はハンガリーまで、北は北海から南はイタリア/イベリア半島まで、欧州大陸の大部分を版図とした神聖ローマ帝国の首都ウィーン。 ナポレオンの侵攻で神聖ローマ帝国が瓦解したのちも、オーストリア=ハンガリー帝国の統治者ハプスブルク家の牙城としてその優雅さを誇示し続けたウィーン。 グロリエッテはその名の通り、5百年を超えるグローリエ(栄光)を今に伝えている。 最初はしぶしぶだった私だが、今回の旅では航空機と地下鉄を使ったため、公共の乗り物が苦手な亭主に代わって、自国同様ここでも私が空港と駅の案内人となり(何しろ地下鉄なら東京で鍛えられてますから)、体調不良もぶっとんでしまった。 写真1.ロバート・シュトルツの歌碑 写真2.菩提樹の花 写真3.夕映えのグロリエッテ |