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2016年06月30日(木) 
第一話「街角のレストラン」

宮里政史(50)は、イタリアンレストランのオーナーシェフ。5年前に繁華街から少し離れた閑静な住宅街に建つマンションの1階で店を開く。店舗はオープンな厨房を囲むように配置されたカウンター席が15、4人がけのテープル席が8つ。お客さんが40人も入れば満員になる小さなレストランだ。

政史は地元の高校卒業後、大手広告代理店に勤める兄を頼って本土に渡り、フレンチや日本料理店で厳しい修行をした。その才能が認められて、瀬戸内海を一望するこの街一番のリゾートホテルの料理長を35歳の若さで任された。地元の食材を活かした創作イタリアン料理として、しばしば大手のマスコミの取材も受けるようになっていた。

レストランを守るのは看板女将の泰子(47)。政史が心斎橋の老舗寿司店で板前修業をしていたとき、誕生日のお祝いにと、友人たちと一緒に客として政史の前のカウンターに座ったのが、大学4年生の泰子だった。言葉のなまりから同郷であることを気づいたふたりはすぐに意気投合。後日、友人のひとりから住所を知らされ、どちらからともなく文通が始まった。

高校出で修行中の料理人と、お役所勤めで厳格な家庭に育ったお嬢さん。立場も境遇もまったく違う二人の仲は、知らない土地での孤独な生活もあって急速に接近していく。政史が10年間の修行を終えて、29歳でホテルの厨房に就職したのを機会に、彼は沖縄に戻っていた泰子を呼び寄せて、ふたりの新生活が始まった。

「いつか、ちいさなレストランをもとう♪」というふたりの夢を目指して、政史はしばしばホテルに泊まり込みながら、料理の研究に明け暮れ、泰子は得意の英語を活かして自宅で子どもたちを指導する日々が続いた。しばらくして長女の幸枝と次男の大知という一女一男を授かり、政史も料理長に昇進。ささやかながら幸せな家庭を築いていた。

最初の転機は、政史がホテルの料理長に就任してから。若い頃からさまざまな料理の修行をこなし、良質の素材を優れた技術で、芸術のように仕上げる腕と知識と直感を養ってきたことが、ホテルの料理全体を差配できる立場となって一気に花開いた。ある日、政史の大ファンのひとりで、よく夫婦でホテルを利用してくれている大学教授の紹介で、地域活動を頑張る彼の仲間たちを、ディナーのテーブルで紹介された。

そこには、後に政史の人生に大きなインパクトを与える人々が座っていた。農業に従事する若者たちを育成しながら、地場の新鮮な野菜を提供している「夢工房」、卓越した目利きでこだわりの牛肉や豚肉を提供し、ブランド肉の確立に汗を流す「播州ハム」、瀬戸内前どれの魚介類を、超新鮮な状態で手渡ししてくれる坊瀬の「漁労長」。それぞれがおのおのの分野で、地元の食材に夢を託す優しく熱く立派な人たちだった。

瀬戸内海の夕暮れにやさしく包まれて、地元の良質で新鮮な素材を、優れた技術で見事に調理して食べさせてくれる、このホテルの創作イタリアンは、ほどなく評判のレストランとして有名になった。遠くから夫婦や家族連れで訪れてくれる常連客も増えて、政史の名声は業界の中で高まっていった。順風満帆に見えた料理長時代であったが、子どもたちが成長してくるにつれて、夫婦がずっと持ち続けてきたオーナーシェフの夢が、だんだんと脳裏の中で大きくなってくる。弟子と呼べる若い料理人も育ち、そろそろホテルの仕事も任せられるようになってきていた。

つづく

閲覧数440 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/06/30 13:31
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