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2016年07月17日(日) 

 

「明の永楽帝時代を夢見るのか?」

 

あの歴史的根拠とは何なのかなあ。

1953年から急に主張し始めた、

9つの破線の元は、

1947年の蒋政府の11の破線らしい。

11本の破線から2本削って。

 

 11―2=9  破線=段線

 

もしも、

歴史的根拠があるとしたらと考えてみた。

明の永楽帝(在位1402年―1424年)が、

宦官の鄭和を何度も東南アジア、インド洋、

中東、アフリカに派遣して、

周辺諸国からの朝貢貿易の見返りに、

冊封して王に任じたころしか、

私は思い当たらないけど。

なんか今に似てないかな?

足利義満将軍も冊封してもらって、

日本国王に任じてもらい、

以後は勘合貿易で儲けさせてもらってる。

一方で当時東アジア一円を悩ませた、

倭寇退治が交換条件だったようだ。

 

明は漢人(最後)の帝国だから、

海を渡っての海外貿易に関心はあったろうけど、

朝貢貿易は損が大き過ぎて続かなかった。

 

明後の清は満州女真族の帝国だから、

南の海には興味なかっただろうし。

 

鄭和は7回海外遠征(1405年―1433年)して、

マラッカ海峡をおさえたり、

チムール帝国と友好関係を築き、

ホルムズや遠くはケニアまで行ってる。

宦官のイメージが変わるね。

イスラム教徒で、

少年時代に無理やり去勢され、(><)

燕王(後の永楽帝)への献上品になったそう。

 

結局、

歴史的根拠などないっしょ!

 


閲覧数675 カテゴリクチコミ情報 コメント2 投稿日時2016/07/17 18:37
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2016/07/17 23:48
    ちかさん
    今から作るのでしょうね
    次項有
  • 2016/07/18 15:16
    ニュースでは、歴史的根拠は三国志らしいです。だったら卑弥呼の倭も段線内かな?
    次項有
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