「明の永楽帝時代を夢見るのか?」
あの歴史的根拠とは何なのかなあ。 1953年から急に主張し始めた、 9つの破線の元は、 1947年の蒋政府の11の破線らしい。 11本の破線から2本削って。
11―2=9 破線=段線
もしも、 歴史的根拠があるとしたらと考えてみた。 明の永楽帝(在位1402年―1424年)が、 宦官の鄭和を何度も東南アジア、インド洋、 中東、アフリカに派遣して、 周辺諸国からの朝貢貿易の見返りに、 冊封して王に任じたころしか、 私は思い当たらないけど。 なんか今に似てないかな? 足利義満将軍も冊封してもらって、 日本国王に任じてもらい、 以後は勘合貿易で儲けさせてもらってる。 一方で当時東アジア一円を悩ませた、 倭寇退治が交換条件だったようだ。
明は漢人(最後)の帝国だから、 海を渡っての海外貿易に関心はあったろうけど、 朝貢貿易は損が大き過ぎて続かなかった。
明後の清は満州女真族の帝国だから、 南の海には興味なかっただろうし。
鄭和は7回海外遠征(1405年―1433年)して、 マラッカ海峡をおさえたり、 チムール帝国と友好関係を築き、 ホルムズや遠くはケニアまで行ってる。 宦官のイメージが変わるね。 イスラム教徒で、 少年時代に無理やり去勢され、(><) 燕王(後の永楽帝)への献上品になったそう。
結局、 歴史的根拠などないっしょ!
|