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2006年11月21日(火) 
こんなところでオープンに書くとヤバイ気もしますが(笑)、今日は大学院の博士研究中間発表会でした。知らない人は知らないでしょうが、こたつは現役の大学院生でもあります。「ICTと地域ネットワーク」にいう大きなくくりの中で修士では「日本型ネットデイ」を考察し、博士では「地域SNS」を切り口にについていろいろとあるべき情報社会について思いをめぐらせています。

その中で、なかなか解消できない悩みがあるのです。発表をしてよく聞かれる質問が「あなたの研究分野は何ですか?」というもの。対外的に行われる学会発表では稀で、環境人間学という融合的学問を取り扱う自分の大学では「必ず」と言っていいほど質問を下さる先生があります。

今回の研究タイトル「地域を活性化する人的ネットワーク-地域SNSによるソーシャルキャピタルの創造」からわかるように、以前に誰かが開いた分野を更に深めるというのではなく、情報システム、社会ネットワーク、数学的グラフ理論、地域活性化、地域情報化などの分野を横断融合的に取り扱わないといけないので、どこにも足場をおいて論ずることもできる代わりに、どこに偏っても本来の研究の意義がズレるというジレンマに落ち込んでしまいます。つまり、従来の研究分野には収まらない新しい領域「(横断的)ネットワーク学」があればとそこにしか居場所がないのではないかと感じています。

しかし研究者としては、どこかに足場を置いてその学問の流儀で研究を進めないと「あるべき」研究スタイルとは認めてもらいにくく、自ずからいくつかの顔を持つ(またはどれかに絞り込む)ことが求められているのです。分離融合の研究科の方向性とはちょっと違うのではないかという素朴な疑問を胸に抱きながら、やっぱり(タコツボの中ではなく..あぁ、かいてもた)各分野を融合的に取り扱って社会にフィードバックしていくことが、求められているのではないかとつぶやく日々が続いています。

この延長戦上にあるのが、表題の「研究者と実践者の違い」です。フィールドを持ったり、開発系の活動に携わっていたりすると、どうしてもここがネックになることが多いと実感します。発表も自然と分析より成果に偏りがちで、これは反省しなくてはならないと感じています。今日などは「ひょこむのセールスしてる♪」なんていう(前向きな)批判を受けてしまいました。自分ではずいぶん注意していたつもりなんですが..(笑)

ただ、研究者であることに執着してフィールドに足を踏み入れない(現場を知らない)学者が、果たしてこれからのあるべき姿なのか非常に疑問に感じています。現場を持っていると解るのですが、時代の流れはこれまで研究のために与えられていた「時間」を十分に与えてくれないほどの速度で変化しているものも少なくありません。わたしたちが身を置く「情報通信ネットワーク」においては、その影響をうける分野は大きく深く、かつ変化が速いという特性を持っています。これにいままでの方法論でアプローチすることがよいのかどうか..大変疑問に感じています。

研究者たちがすべて現場を持つ必要はないとは思いますが、少なくとも新しいアプローチが容認され、それを受け入れられる世界に変わることが求められているのではないのかと、感じざるを得ません。とはいえ、実践者である私達は、より研究者としての立ち位置を実感できるように視野を拡大する必要があります。まだまだ壁は大きいです。

閲覧数2,851 カテゴリ日記 コメント10 投稿日時2006/11/21 23:02
公開範囲外部公開
コメント(10)
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  • 2006/11/21 23:12
    なるほどぉ。。。
    私の大学時代の卒論テーマの分野は"グラフ理論"でした。よく聞かれるのは「グラフ理論」って何?統計のグラフと勘違いされるのですが(>_<)。こたつさんの様に"数学的"と付ければ区別できますね。

    今の私はもうなかなか理論が付いて来ないので、"出たとこ勝負"の実践派でしょうか(笑)

    どうぞ、博士課程の研究がんばってくださいませ(^^)/
    次項有
  • 2006/11/21 23:15
    こたつねこさん、こんばんは。
    むずかしいことは、よくわかりませんが、研究者も実践していかなければならない時代になったと思います。
     今、社会は劇的に変ろうとしています。
    SNSは、新しい社会には必要だと思います。
    可能性を追求していってもらいたいと思います。
     実践は、こたつねこさんを囲む私たち「ひょこむ」の仲間たちで行っていったらいいと思います。
     それを研究に生かしていただけたらと思います。
     出来る限り、協力させていただきます。
    こたつねこさんに期待します。
    次項有
  • 2006/11/22 01:43
    aoitoriさん
    こたつねこ様の分野の事はよくわからないのですが、「あなたの本分はどこ?」と言うような立場は、なんとなく分かります。物事を従来にない総合的な捉え方をしようとする時、斬新な手法を取ろうとする時などによく起こる状況のように思います。私は、しの笛を作曲・演奏、オカリナも吹き、ピアノも弾きます。邦楽アンサンブル、クラシカルアンサンブル、ジャズグループ、もやります。その結果「あなたは何が本分で、何が専門ですか?」と聞かれます。説明するのも面倒くさいので「私は作曲家です」といいます。
    「心に優しい音楽」をテーマに作曲し演奏していますので、作曲家であり演奏家であるわけです。
    「心に優しい音楽」がテーマなので、ジャンルもクラシックであろうがジャズであろうが、邦楽であろうがかまわないのです。楽器もしかりです。
    こたつ様とは全然違う状況なのかもしれませんが
    旧来の枠組みでは捉えられない、総合的、横断的な取り組みが重要であることは同感しています。
    研究者と実践者の分離、専門の細分化は現実から遊離した「学問のための学問」になってしまうことが往々にしてある、と感じているもので・・・
    次項有
  • 2006/11/22 03:52
    aoitoriさんの例え、非常に解りやすいです。
    なるほど、音楽の世界でもあるんですね。
    ありがとうございます。
    次項有
  • 2006/11/22 08:43
    jamjamさん
    僕は研究者ではありませんが、こたつさんの煩悶はよく理解できます。

    僕の関係していた土木工学の分野でも、研究領域が日を追って細分化され、土木工学全体を見渡すことのできる研究者はどんどん少なくなっています。ましてや他の分野、例えば建築学のような比較的近い分野はもちろん、美学や社会学といった文系の分野に至っては、全く無知と言ってもいいような人も少なくありません。つい最近、近代の土木技術の変遷を調べたことがありますが、大正から昭和初期にかけてつくられた建造物に非常に優れたものが多いことが改めて認識されました。それは、それらを計画・設計した当時の技術者たちが、同時に優れた研究者であり、それ以上に非常に高い教養を身につけていた文化人であった。そういうことが、彼らの作品から感じられたのです。

    もちろん、研究分野の細分化は科学技術の高度化が進む現代の社会的要請であると言えますが、そうした研究が本当に人類のために役立つものとなるためには、広い視野から自分の研究分野を捉える必要があるでしょう。その意味で、こたつさんがとり組んでおられる工学と社会学にまたがる研究は、近代科学への回帰とも言えますが、細分化されすぎた現代科学へのアンチテーゼであると思います。ご成功を祈ります。
    次項有
  • 2006/11/22 09:59
    jamjamおじさんは「土木工学」畑の方でしたか..なるほどなるほど。いつも文面が理路整然と整理されていてかつ面白いので、どんな背景の方なのかほのかに興味を持っていました。

    > 大正から昭和初期にかけてつくられた建造物に非常に優れたものが多いことが改めて認識されました。それは、それらを計画・設計した当時の技術者たちが、同時に優れた研究者であり、それ以上に非常に高い教養を身につけていた文化人であった。そういうことが、彼らの作品から感じられたのです。

    このくだりは、事実としては知りませんが、おっしゃる意味と時代背景は非常によくわかります。
    「現代科学」から「近代科学」への回帰と併せて、「日本文化」のひとつである日本型地域ネットワークの覚醒が重要なポイントを握ると思います。研究もできる実践家の道から、実践できる研究者に、まっすぐに進んでいきたいと思います。ありがとうございました。
    次項有
  • 2006/11/22 11:43
    オメメさん
    私は医学博士です。でも、まちがいなくヤブです。
    医学博士はごまんとおります。日本は世界で一番医学博士が多いのと違いますか。
    あんまし、価値がない、それに人体の修理屋ですから、それに反して、他分野の博士は偉い。
    文学博士なんて本当に少ないんですよね。
    多すぎるせいか開業医の看板に最近まで医学博士の名称をいれてはいけないことになっていました。
    でも、博士なんです。信じてください。尊敬してください。道で会ったら「下にい」といいますから土下座して下さい。
    次項有
  • 2006/11/24 10:41
    タントさん
    最近、たまたま研究のためにと情報提供する機会が何度かありました。どーして自分たちの実践が失敗したのかをまじめに議論されているのを目の前に「ニーズにあってなかっただけ、自分たちの都合を押し付けただけやん!」と心につぶやいていました。実践あるのみの私には、研究者と呼ばれる方たちの思考回路がよく理解できません。
    しかし・・・・
    その失敗も、データーとグラフと起承転結の完璧な論文により、すごい研究となっている現実に「・・・」
    研究者より実践者が低く見られている現実に(私にはそう感じられます)やっぱりなんだか納得いきません。
    行政が縦割りでうまくいかなくなっているように、研究(人間にかかわる分野では)だって縦割りでは答えが出にくいでしょうねえ・・
    でも、なんとなく理屈で無理やりこじつけているような・・・
    数年にわたる研究より、一日の実践が社会に役立つことを証明してください。
    変化に対応できる大人がもう少しいれば子供たちの周辺で起こっている問題はずいぶん減っていくのにと感じます。
    とにかく難しいことはわかりませんが、おばちゃんにも理解できる(でもなんとなくですが)、すぐに使える、役に立つように研究してもらえたらうれしいです。
    次項有
  • 2006/11/24 16:36
    オメメ先生、ぜひ次回お逢いした時には、額を地面にすりつけるようにしてひれ伏しますので、ギャラはずんで下さいね。

    タントさん、一部の研究者の方だけだと思いますが、「権威」と呼ばれたりする立派な先生の中には、そんな人もいらっしゃるようです。きっと持ち上げられていることに慣れてしまって、いろいろ見えなくなってしまっているのでしょうね。
    「実践者が低く見られている」というのは、そういう特別の事例で一般的ではないと思います。ただおもいのない(客観的立場の)人に「分析」されるのは、実践者としていい気分ではありませんわ。私は以前、来年から教鞭を取る(非常勤)大学の先生と一戦交えたことがありますねん。
    何が正しいかはわかりませんが、そんな実践者のハートを理解して元気づけられる研究がしたいものです。
    次項有
  • 2006/11/25 01:10
    タントさん
    こたつねこさん
    よろしくお願いします。現場での実践者は、それぞれに先駆的な事例を実践しているにもかかわらず、情報の流し方やとり方、資金集めの方法に疎かったりします。そんな人たちの活動が簡単に日の目を見るような何か(別に日陰での活動ではありませんが)があればいいのにといつも思います。強い思いでの実践のみなんでやや偏ることもありますが、そんなことも含めて緩やかにつながるネットワークというのを目標に日々あれこれ思い悩んでいます。
    次項有
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