家から1時間あまり歩いて「流れ橋」に到着しました。
堤防の上から河原の方へ下りて、茶畑の間を50mほど歩くと橋の袂に出ます。 橋は堤防の一段低いところ(堤防の上から5mほど下)に架かっていて、河原はそこから4mほど下になります。 看板が何枚も立てられているように、この橋は自転車に乗って走ることは禁止されていますが、違反する人も多く、この日も何人か見ました。 しかし、この中学生の女の子たちは自転車を押して歩いていました。規則を守らないのは大体男の子か大人です。
橋の下へ下りてみました。橋脚の柱が延々と続く様は壮観です。 この橋の長さは360mほどで、水が流れているのは対岸に接した約50mだけです。
河原はきれいな砂浜になっています。上流の山は花崗岩で出来ているのでしょう。 人間の足跡のほかに大型のサギ(ダイサギ又はアオサギ)の足跡と思われるものがありました。 清らかな水が流れる水際まで行くと、広々とした風景に心が癒されます。
ところで、この橋は上津屋橋(こうづやばし)と言って、府道・八幡城陽線の一部になっていますが、ほとんどの人は「流れ橋」という通称で認識しているでしょう。 この通称は、洪水時に流木などが橋に引っ掛かって水を堰き止めることによって更に水位が上がり、上流側で氾濫することを防ぐため、水位が橋の高さ以上になったときに橋桁が浮き上がって橋脚から外れ、下流側へ流れるようにした構造に由来したものです。 しかし、海まで流れてしまっては困るので、3径間(土木工学では橋脚間を「径間」と呼ぶ。)をワイヤーロープで繋いで1ユニットとし、そのロープの1方の端を橋脚に固定して流失しないようにしてあり、水が引いたあとにその桁を再利用するという工夫がなされているのです。(右の写真は流れたときの状態)
この橋が最初に架けられたのは昭和28年(1953)で、以来21回流れています。特に最近は局地的豪雨が多くなったことで流される回数が多くなっていて、2009年、2011年、2012年、2013年、2014年と連続して流されています。 2014年8月10日の台風11号に伴う豪雨のときには、ほとんどの橋桁が流され、橋脚にも甚大な被害がありました。
こう毎年のように流されては復旧工事の費用もバカになりません。そこで今回の復旧工事では思い切った対策が講じられました。 その一つが橋桁の位置を従来より1m近く高くしたことです。これにより、流木などが桁に引っ掛かる回数はかなり減るものと思われます。
もう一つは橋脚です。これまでの橋脚は、右岸側の流水部分を除いて全て木製であった(右の写真)のですが、全ての橋脚について、橋を支える3本の柱を鋼管柱にし、桁を受ける梁をコンクリートにしたことです。これにより橋脚の強度は飛躍的に向上したと言えるでしょう。 ただし景観を考慮して、外側の柱とそれらを繋ぐ梁や筋交は木製のままにしてあります。(これらは構造計算上、なくてもよいものだと思いますが、)
復旧工事は渇水期に行われるので、短くて半年、長い場合は1年かかります。その間は通行止めになるので、利用者にとっては非常に不便です。 今回はほとんど架け換えに近かったので、1年半以上かかって2016年3月末に完成しましたが、これからは今までのように頻繁に流されることはないと思います。 長閑な風景の中に融け込んだ古風な橋、そしてときどきは流れる面白い橋、この「流れ橋」がいつまでもここにあり続けてほしいと思うものです。 |