イスラム教って、めんどうなんですね、でもどこの国にも戒律を犯す
ふとどき者はいると思いますが、隠れて豚肉をバンバン食べてる人もいるかも?礼拝を一日5回もきちんとやらない人だっているかも?ラマダン守らないで食べちゃう人もいるかも?とにかく厳しい戒律が多すぎますね。日本人で良かったです。
この題から、今はやりの「食べてはいけない危険な食品」シリーズかと思われた方も多いでしょうが、そういう話ではありません。 今日(ドイツ時間です)のカーリーさんのブログのタイトルに「ハラル」という言葉があったので、おや、日本でも、最近増えているというイスラム教徒と、彼らにとっての異教徒(もちろん大半が日本人)との間に、ややっこしい問題が起きているのかな、と思ったら。 イスラム教徒を父親にもつ日本で育った男子のツウィッター紹介で、あっけらかんとしている。こういう若者なら、フィンランドに移住してもきっと大丈夫(フィンランドは多分他の北欧諸国ほどリベラルじゃないと思うけど)。 さて、このハラルという言葉、実は私は仕事の関係で70年代から耳にしていて、それが近年話題になり始めたときは時代が変わったことを実感した。 私が社会人としての一歩を踏み出した開発途上国経済協力機関では、アジア、アフリカ、中東の人々と接する機会が多かったが、70年代半ばにはマレーシアやインドネシアはもちろんイラクなどから技術研修で来日する女性たちの誰も、ヒジャブやニカブなど被っておらず服装も欧米式であった。 それが急にイスラムの戒律を喧しく言うようになったのは、私の記憶では79年のイラン革命が契機だったように思う。 その時には私は上記の機関を辞めていたが、ときどきパートに駆り出されることがあった。それまで、職員と外国人研修生が食事する食堂では、研修生の宗教に鑑み豚肉と牛肉(ヒンドゥ―教徒の禁忌)の入った食品にはそれと分かる印が付けられていたものの、それ以上の配慮はなかった。 それがリビアだのイランだのの研修生が「ハラル・ミート」を要求するようになり、私の元上司は頭を抱えていた。 イスラム教徒の場合は、ただ豚肉でなければいい、というものでなく、しかるべき資格を持つ人間がしかるべき手順・方法で屠った牛・ヒツジ・鶏肉でないと食べてはいけない、というのである。 そんなの無理!と職員は最初叫んでいたが、通産省関係の団体とあって顔もきき、大使館に問い合わせるなどして、ハラルの入手源を確保できたらしい。それが80年代から90年代のことだ。 日本で一般に販売されている肉類はさほどバラエティがないので、ウサギはいいでしょうか、とかシカ肉はどうでしょう、などと検討する必要がほとんどないのはあり難い。 その後私は上記機関での仕事を通じて知り合ったイラン人の金持ちボンボンの手伝いをする羽目になり、革命後の窮屈極まりないイランに何度かでかけた。 そこでキャビアをご馳走になって、これは石油を輸出できなくなったイランにとって重要な外貨源だと聞かされたが、問題はそのキャビアを取り出したあとのチョウザメを捨てなければならないことだという。 パーレビ朝シャーの時代には食べることが許されていたそうで、しかもなかなか美味なのに、とみんなこぼしていた。 なぜ食べてはいけないか。それはイスラムの戒律で「鱗のない魚」が禁じられているためなのだ。だからウナギもNGである。しかしウナギはそんなに多くは採れないし、国民も特に好むわけではないので食べられなくても痛痒は感じない。 チョウザメはかなり大きな魚でカスピ海で豊富に採れる。しかも革命後の物資不足で食料供給もままならないので、このチョウザメ禁止は痛手だというのである。 ところがそのあとイランに行ったら、魚市場にチョウザメがあるではないか。 「どういうこと?」と友人に訊くと、誰か偉いムッラ(イスラム僧侶)が生物学者に命じて調べさせたところ、チョウザメにも鱗らしきものがあることが分かったのだそうだ。 んまあ、背に腹は変えられないとはいえ、よくもそんなでっち上げを、と呆れたが、実際にはこれは嘘でなく、ウナギにもチョウザメにも目立たない形で鱗があるということは、日本の生物の授業でも教えているはずだ。 この一件で思い出した、というより、改めて確認したのは、イスラム教とユダヤ教との類似である。 私はコーランにはきちんと目を通したことはないのだが、旧約聖書の方は読んでいて、その中の申命記に記されている日常生活に関しての戒律は「あら、面白い」と思ったので今でも記憶に残っている。 紀元7世紀に勃興したイスラム教が、それよりも1千年以上古いユダヤ教やそれに続くキリスト教から大きな影響を受けたことはよく知られている。 それでユダヤ教の経典でもある旧約聖書の中の掟と、コーラン中のそれとは重なるところが多い。 イスラム教徒を自宅に招いてご馳走する場合に、コーランを参考にするのが面倒であれば(実際面倒なのだが)、この申命記の14章を読むとかなり参考になる。 これを最初に読んだとき強く印象に残ったのは、「子やぎをその母の乳で煮てはならない」という一節で、これには情感として納得できるものがあり、それとの関連で私は今でも親子丼は避けたい。 子やぎの件がコーランにあるかどうかは知らないが、「すべて水の中にいるもののうち・・・ひれと鱗のないものは食べてはならない」というのは同じはずである。だからタコ・イカも貝類もだめ。ナマコやホヤなど悪魔の食べ物だ。 四足動物に関しては「ひずめが完全に分かれ[偶蹄]、反芻するものはすべて食べてよい。」豚が禁止されている理由は、反芻しないから。同じ理由で馬もダメ。あ、奇蹄目の馬はひずめが分かれていないからもっとダメだろう。イスラム教徒に馬刺しを出してはいけません。(もちろんユダヤ教徒にも。) 鹿、羚羊などはいいが、岩だぬきは食べてはならない、ったって、岩だぬきなんか大抵の日本人は聞いたこともないから、この辺りは心配しなくていい。 鳥に関する叙述では、ユダヤ教徒の「ハラル(食べてよい)」の方はひどく大まかで「すべて清い鳥は食べることができる」とあり、では清くない鳥はというと、ハゲワシ、ハゲタカ、とんび、からす、カモメ、ペリカン、ふくろう、ダチョウなど。 それと、コウモリも食べてはいけない鳥の中に入っています。どうです、面白いでしょう、食べてはいけないもの。 |