発電機が動き出したので戻って呉れとの連絡があって再びパタゴニアの荒野に立ったのは1978年3月14日、復活祭の始まりの十日ほど前であった。現場を離れたのが謝肉祭の2週間後だったから併せて四旬節の半分の期間をカブキはカトリコ達の国から離れていたわけだ。
ある日、氷蔵庫を荷台に設えたカミオネータでバイヤブランカから魚売りがやって来てF-13の前で車を止め蓋を開けた。ひどい匂いがF-15の部屋にも流れ込んできて外へでてみると、奥方がボールを手に集まって居りあれこれ品定めに余念がない。時節柄各家庭では肉を断つ日もあるのだろうが600kmもの夏の陸路を運んできた臭い魚をよく平気で食べるものだと呆れた。
以前カブキは魚を食べたくなると放水ロのところでペヘレイという魚をサビキ仕掛けみたいなもので釣っては酢に漬けて食べていた。口吻が無いサヨリのような姿形でさっぱりした味の白身魚である。
ペヘレイ
酢漬け
発電機が長時間動くようになって放水口はいつも激しく渦巻き、釣りなどしては居られないので活魚には飢えていて、腐っても鯛とはいうがと考えたがあの匂いでは食べる気がしなかった。
そして3月23日は聖木曜日でレストランは休み、住民はレストランの客室を借り切りパーティーを開いた。缶詰のイワシのサンドイッチをつまみワインを飲みギターで歌う。BBCのハンスリヒターの伴奏でカブキもダニーボーイを披露しヤンヤの喝采を浴びた。