去年の春から、東京都内の公園で、ジカ熱などの流行を防ぐため、都から委託を受けた業者が虫捕り網を使って蚊を捕獲し、側溝では幼虫を採り、成長を防ぐ薬もまきました。
夏のリオデジャネイロオリンピックも踏まえ、とても緊張したことを覚えています。
セックスワーカーの料金で「都市の国際比較で一番安いのが東京」というのは「円安」のせいでしょうか。それとも、他に原因があるのか。興味深いです。
数日前に日経新聞に「感染症の警告:人間は脅威に勝てるか」という記事を見て、これは面白そうと大いに惹かれたものの、他に読むものが多く、そのうちにと後回しになっていた。 のだが、月曜日から水曜日まで出かけたウィーンでのちょっとした出来事から、感染症についてさらなる興味を持つことになった。 帰宅して読んだ新聞記事の内容というのは、最近世界的に増えている感染症、具体的には結核、エイズ、マラリア、梅毒などの脅威に関するもの。インフルエンザで死ぬ人も世界全体で2万5千人、日本だけで2262人となっている。(いずれの疾病も、最新データは2015年のものである。) この記事はインターネットで簡単に読めるのでここで詳述するつもりはないが、結核の新規感染者が人口10万人当たりの割合で見て日本は世界8位というのには驚いた。 一位は韓国で、10万人当たり80人となっている。私が海外援助団体で働いていたのは70年代半ばだったが、当時韓国はOECDのメンバーではなく開発途上国に分類され、同国からの研修生は少なくなかった。 その中に結核で母国に返される人が時々いたのを記憶している。日本に来て食費(日本国から支給される)をおそろしく切り詰めて栄養失調になり、病気が顕在化するというケースが大部分だった。 あれから40年あまり経ち韓国も豊かになったはずなのに、いったい何が原因だろう。バルト国と並んでポルトガルもかなり上の方だから、気候はあまり関係なさそうだ。 もう一つ驚いたのは梅毒の新規患者の増加である。日本では4518人で、この10年に7倍以上に膨らんだという。 さてドイツはどうかと調べたところ、ロベルト・コッホ研究所(小学校で結核菌の発見者としてコッホについて習った団塊世代には懐かしい名前)のデータでは2015年に6834人となっている。 性病に関しては、ドイツの方が情勢が悪そうだ。そして過去数年、毎年20%前後の割合で増えている。 ぎょっとしたのは、このサイトで「セックスの平均価格はいくらでしょう」というクイズがあったので答えを探したら、エコノミストの記事が出てきたことだ。270ドルくらいだったと思うが、そのエコノミストの記事というのがまた仰天するような内容を扱っていた。 セックスワーカー(早く言えば売春婦)の世界の主要都市の価格を比較するとともに、SMなど嗜好による値段の違い、さらに女性の外観による料金差まで紹介されている。 都市の国際比較で一番安いのが東京、最も高いのはボストン、上海などもかなり高い。外観で言うと、太った女性は安く痩せている人の方が高いが、一番値が張るのはアスリート・タイプだそうだ。 セックスワーカーの話など気が滅入るだけなので大部分すっ飛ばして読んで、そこで分かったのは、最近価格が下降傾向にあるということである、これは欧米で移民が増え、その中の女性の多くが手っ取り早い収入源としてこの世界に入るため、供給が需要を上回っているのが原因だそうな。 ここでもまた市場経済の原理か。しかし、このこととドイツの梅毒患者の急増は無関係ではなさそうだ。 さて前置きが長くなったが、ウィーンの話。 ウィーンは夫の顧客訪問について行ったのだが、もともと行く気は全然なかった。一人だとちょっと寂しいかもしれないけど、品質管理担当の30歳の社員が一緒なので同行の必要はないと思ったし。 それで、だいぶ前に、斯く斯くしかじかでチューリッヒから飛ぶけど一緒に来るか、と聞かれたとき、えー、この季節じゃあ、と答えたきりになっていた。 先週土曜日になって恐る恐る「ねえ、私の分もホテル予約した?」と尋ねると「もちろんさ、航空券もだよ」と言うので、今更キャンセルしてくれとも言えず、しぶしぶの旅。 ウィーンと言ったが、顧客の企業があるのはウィーンから30分ほどのバーデンという町のすぐそばである。それで大抵はバーデンに宿泊する。 バーデンという名の町はドイツにもスイスにもあって、紛らわしいのでバーデン・バイ・ヴィーン(ウィーンのそばのバーデン)と呼んで区別している。どの国のバーデンも、その名から分かるように温泉のある保養地である(バーデンはドイツ語で入浴という意味)。 最近までウィーンの金持の多くがここに別荘をもっていたそうで、今でもヴィラと書いた建物があちこちにあり、私たちが今回宿泊したホテルも貴族の狩猟館を改造したものだった。 二日目に夫と社員とが仕事をしている間、バーデンから出ている電車でウィーンに行ってきたらといわれたけれど、翌日三人で一緒に行く予定だったので、風が強く寒かったこともあり遠出せずに昼間の時間をバーデンで過ごした。 昼食代わりに町役場の斜向かいあるカフェでケーキとカフェオレを注文し、窓外を見るとすぐ前に白と金色の大きなモニュメントのようなものがつっ立っている。 オーストラリアの主要な町に行くと大抵これと似たものを見かける。初めて見たのはリンツだった。土台は大理石などの石で金属板に何かラテン語で書いてあり、その上にでっかいソフトクリームのような形の造形物がそびえ、周りに聖人らしき像が何人かくっついている。 ところどころ金色で、天辺はやはり金色の太陽光線を模したような飾りがついている。まるでパイナップルとバナナをくっつけた巨大なアイスパフェみたいだ。 確かウィーンにもそんなのがあったっけ。これまであまり気にしたことがなかったが一体これは何のためだろう。そしてなぜオーストリアに多いのだろう。 その夜は、これもバーデンの近くにある夫の同業者オーナーの兄弟と一緒に食事をした。同じ顧客に納入しているから競合他社ともいえるが、得意の分野が少し違うのでむしろ協力関係にある。 その夕食の席で、このモニュメントみたいなのは一体何かと尋ねると、それはペストゾイレのことだねという。ペストゾイレですって? ペストは例の伝染病のペスト、ゾイレは英語で言うコラム、柱のことだ。 どうしてそんなものを、といえば、カトリックの信仰篤い地域では、神の祟りとも恐れられた死の病ペストの大流行が去ったとき、神への感謝にこの種の記念碑を建造したのだそうだ。 だからドイツの、特にカトリック教徒の多い南部の都市にもあるが、オーストリアのそれのように大仰ではなく、ほとんどがオベリスク風の柱の上に聖母や聖人を乗せた様式なのであまり目立たない。 なぜオーストリアだけこうも派手なのかと後で調べてわかったところでは、この記念碑の案がハプスブルク家により実施されたときが、ちょうどバロック建築全盛期だったたためとか。 それでこの「ペストの柱」は、当然その時期ハプスブルク朝のオーストリア帝国、のちのオーストリア・ハンガリー帝国の領土だった地域、つまり現在のチェコ、スロバキア、ハンガリーなどにも建立された。 そのため、これらの地域の住民にとってこれは憎っき支配者オーストリア帝国のシンボルともなり、チェコなどでは独立後市民によって倒され破壊されたという。冷戦終了後に東欧諸国でマルクスやレーニンの像が倒されたのと同じ理由である。 幸いに民衆の怒りを逃れた「ペストの柱」の多くが、現在東欧都市の観光の目玉にすらなっているというのも皮肉な話だ。 そんな感謝の碑など建てずとも、結核も梅毒もほぼこの地球から姿を消したと思っていたのに、どっこい、神さまも病原菌もそう簡単に人間を解放してはくれない。 ペストだって、実は地上から絶滅したわけではない。だからお礼参りを忘れちゃいけません。 エイズ(HIV)の最近の年間新規患者数は210万人、うち110万人が死亡しているから、50%を超える死亡率である。 早くこれらの感染症を退治して、21世紀の「疫病の柱」を建立したいものだ。 上の写真がバーデンの「ペストの柱」 下の写真の「柱」はウィーンの繁華街にある。 |